出会いの時に「大地が動いた」――二人の作家、ピート・ハミルと青木冨貴子の運命的な出会い
帰国したピートから届いた、一通の手紙
インタビューが終わるとラウンジの外の庭に出て、コラムに使う彼の写真を撮影した。ピートはこのこととあの地震を一緒にして、わたしたちの出会いをドラマチックなものに作り替え、みんなを楽しませているのだった。
「大地が動いた」というのは、ヘミングウエイの『誰がために鐘は鳴る』の有名な場面に出てくる言葉だ。
スペイン内戦の義勇兵であるアメリカ人のジョーダンが、共和国側のゲリラ部隊にいた若い娘マリアとヒースの草原のなかで愛し合ったとき、「大地が下からすべりだし、二人は宙に浮かんだとジョーダンは感じた」とヘミングウエイは書いている。
ふたりは手を繋いで歩きはじめ、こう話しあったと続く。
「あなた、大勢の女を愛してきたんでしょう」
「数えるくらいさ。でも、きみほど愛した女はいなかった」
「じゃ、あのときも、さっきのあたしたちみたいじゃなかったのね? 本当のことを言って」
「どの女とも、付き合っているあいだは楽しかったな。でも、こんなふうじゃなかった」
「で、あたしとのときには大地が動いたのね。以前は、そんなこと一度もなかった?」
「なかったよ。本当に、一度も」
「よかった。あたしたち、たった一日でそうなったんですもの」
(『誰がために鐘は鳴る〈上〉』新潮文庫、高見浩訳)
彼は米国へ帰るとすぐ手紙をくれた。わたしが近いうちニューヨークへ行くかもしれないといったのを覚えていてくれたようだ。「DAILY NEWS」の少し小さめの封筒が届いたのは、1カ月後のこと。開けてみると、「Dear Fukiko」ときちんとタイプされたもので、
〈日本にいる時、私に会うために時間をとってくださってありがとうございました。とても素晴らしい旅でした。おそらくこれまでのもっとも楽しかった旅の一つです。この旅を何より素晴らしくしたのはたくさんの興味ある人々に会えたからです。
これからも連絡をください。もし、あなたがニューヨークへ来る時には、是非、知らせてください。私たちはディナーを一緒にするか、あるいは一緒に歩くことができるでしょう〉
突然舞い込んだ、ニューヨーク勤務のオファー
わたしはまず取材相手から手紙が届いたことに驚いたが、それ以上に最後の言葉に思わず笑ってしまった。「一緒に歩く」。50歳近い大人が一緒に歩きましょうだなんて、どんな意味かしら……。
今から思えば、あの地震は本当にわたしたちの「大地」を動かしたのだ。
翌日、わたしはニューヨークへ行って仕事しないか、と打診された。「ニューズウィーク日本版」の創刊に先立ち、ニューヨーク支局で働かないか、と。ニューヨークに住みたいと思っていたわたしには思いがけない誘いだった。それもニューヨークのジャーナリズムの表舞台で働かないかという、自分の予想を遥かに超えたオファーだった。
(第4回に続く)
※『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部抜粋・再編集。