「ウクライナは白旗を」ローマ教皇“不可解な発言”の真相 過去の言動を調べると日本にも影響が及ぶトンデモない事実が

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「ロシア人は残虐ではない」発言

 教皇フランシスコは1936年にアルゼンチンで生まれた。宗教家として主に南北のアメリカ大陸で活動してきた。佐瀬氏は「ヨーロッパを肌感覚で理解していないことも、今回の騒動に影響を与えたかもしれません」と指摘する。

 佐瀬氏の見解を裏付けるものとして、教皇がウクライナやNATO加盟国の側に立って行動してきたという指摘は皆無だ。むしろロシアや中国との関係構築に熱心な教皇として、一部では危惧が表明されてきた。

 そもそも教皇のウクライナ戦争を巡る“舌禍”も、これが初めてではない。まずは2022年6月、カトリック系の記者団に対して「赤ずきんは善でオオカミは悪だった。ウクライナ戦争の場合、象徴的な善人も悪人もいない」と発言した。

 ロシアがウクライナに侵攻したのは、この年の2月だった。それから4か月が経過しての発言であるにもかかわらず、ロシアを批判しない融和的な姿勢に、かなりのカトリック教徒が失望したと伝えられた。

 さらに同じ年の11月、ロシアのウクライナ侵攻で最も残虐なのは、「非キリスト教徒の少数民族の部隊」だと発言した。具体的には最も残虐な兵士として、「ロシアの伝統に従っていないロシア人」や「チェチェン人、ブリヤート人などの少数民族」を挙げたのだ。

「アメリカ嫌い」の指摘

 教皇の発言を敷衍すると、「キリスト教徒」か「ロシアの伝統に従っているロシア人」は残虐な兵士ではないことになる。ロシアを擁護した発言と解釈することは可能だが、この時はロシア側が猛抗議した。そのためウクライナやNATO加盟国から批判の声が上がることはなかった。

 だが次の舌禍に対しては、ウクライナは明確に反発を示した。23年8月、教皇はロシアのサンクトペテルブルクで開かれた若年層の集会にオンラインで参加。そこで行われた講話でピョートル大帝やエカテリーナ2世といったロシアの王族に触れ、「偉大なロシア帝国の後継者であることを忘れないように」と呼びかけたのだ(註2)。

 ロシアのプーチン大統領はピョートル大帝を引き合いに出し、ウクライナ侵略を正当化してきた。これを教皇が追認する形になったのだから、ウクライナが強く抗議したのも納得できるだろう。

「教皇の『ウクライナ戦争の場合、象徴的な善人も悪人もいない』の発言は、アメリカの経済紙『ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)』が注目し、22年6月に記事を配信しています。記事では多くの専門家に取材し、アルゼンチンで生まれ育った教皇はアメリカの経済支配を経験したことで、『超大国は悪だ』という考えが植え付けられたと指摘。教皇はアメリカを筆頭とする西側諸国と距離を置き、独自外交を目指してロシアや中国との関係構築を重視しているのではないか、と分析しました」(前出の記者)

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