国会に出て来い、裁判所で証言しろ…晩節を汚す森喜朗元首相に対し、「政治学者は本気で研究すべき」という声が上がる理由
あだ名のない元首相
普通、大物政治家には特定のイメージがあり、類型化も可能だという。例えば、田中角栄氏が「コンピュータ付きブルドーザー」なら、小沢一郎氏は「剛腕」という具合だ。
梶山静六氏や野中広務氏など政局に強いと評判の政治家は「軍師」と呼ばれることが多かった。「政界きっての知性派」と言えば大平正芳氏や宮澤喜一氏の名が浮かぶ。安倍晋三氏は首相になる前、「ボンボン育ちの世襲政治家」の代表と見る向きが多かった。
「ところが、森さんの場合、類型化が難しいのです。表層的なイメージなら豊富です。政界では『座持ちのいい政治家』として知られていました。先輩の政治家は徹底して立て、後輩には睨みを利かせます。人たらしで、大手新聞社でも森ファンというベテラン記者は結構いました。その中の一人に理由を聞くと『大病した時、わざわざ見舞いに来てくれた』と打ち明けてくれました。森さんが人心収攬(しゅうらん)に長けていたことが分かります。とはいえ、“寝業師”とか“カミソリ”とか、政治家としての特徴を端的に表現するようなあだ名が森さんに付けられたことはないのです」(同・伊藤氏)
森氏は「ノミの心臓、サメの脳味噌」と呼ばれたことがあるが、これは揶揄の要素が強く、人口に膾炙したあだ名とは違うだろう。
ちなみに伊藤氏が初めて森氏を間近で見たのは、自民党の党本部だったという。
リクルート事件にも関与
森氏は1993年から95年まで自民党幹事長を務めた。伊藤氏が党職員を辞したのは94年で、その前に幹事長だった森氏と党職員が懇談する場に伊藤氏も出席した。
「党職員が口々に『あの時の発言は正鵠を射ていましたね』とか『テレビのインタビューを拝見しました』と森さんにお世辞を言うわけです。普通の政治家なら謙遜するはずですが、森さんは『だよな』という顔で座っている。ちょっと珍しいリアクションで、強く印象に残りました。その後はかなり後年になってから、私がテレビにも出演するようになった頃のことです。ばったり新幹線で会いました。通路を挟んで隣に森さんが座ったのです」(同・伊藤氏)
森氏は伊藤氏に気づき、「あなたは党の事務局長を経験しているからテレビのコメントも正論だよ」「あなたの本は全部読んでいるからね」などと話しかけてきたという。伊藤氏は森氏の話に応じながら、「こうやって森さんは色んな人たちのハートを掴んできたんだな」と改めて実感したという。
「森さんの人生はスキャンダルが多かったと言われます。自叙伝を出版すると『早稲田大学は裏口入学。産経新聞はコネ入社で、日本工業新聞社に配属されたと堂々と書いてある』と話題になりました。1988年のリクルート事件では、かなり早い段階で未公開株の譲渡が報道されました。森さんが党の調査から逃げ回っていたのを、職員だった私はつぶさに見ています。その後も森さんと“カネ”を巡る疑惑は水面下で何度も囁かれてきました」(同・伊藤氏)
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