「食べた瞬間、手が止まった」 裁判所書記官で作家の菰野江名がタイ料理の屋台で再会したノスタルジックな味

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不思議なノスタルジー

 それが、2月の寒風吹きすさぶ屋外のテーブルで立ち飲みしたスープのおかげで、記憶が呼び覚まされた。私が10歳前後だった冬の夕方。共働きの親はまだ帰ってきていない。家の外から「エナチャーン」と呼ぶ声がする。白い発泡スチロールのカップに入ったかぼちゃとココナッツミルクのスープを、テダさんから受け取った。私はそれがココナッツだと飲んだ後気付いたが、ほくほくとした甘味を少しずつすするのが妙においしく、完飲した。とにかく、一番お腹が空く寒い冬の夕暮れを、私はこのスープを飲んで幾度か過ごした。

 香り高く力強い味のタイ料理は女友だちの間で人気で、もれなく私もタイ料理が大好きだ。でも、そこでトムヤムクンやガパオライスを食べても、テダさんを思い出すことはなかった。記号化されたような有名なタイ料理よりも私には、ちょっと苦手な香りのするかぼちゃのスープに不思議なノスタルジーを感じる。

 それは、テダさんが家族でも友人でもない距離感で幼い頃から私を見守ってくれていたからだろう。会いたい、と強く思う。

菰野江名(こもの・えな)
作家。1993年生まれ。裁判所書記官として働きながら『つぎはぐ、さんかく』で第11回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。

デイリー新潮編集部

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