海老名香葉子さんが語る、東京大空襲と、慰霊祭を自費で開催する理由

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ライフワークとなった長年の取り組み

 身をもって戦争を知る香葉子さんは、いまも続くロシアのウクライナ侵攻の映像だけでなく、今年の元日に発生した能登半島地震にも衝撃を受けたという。

「大きな被害が出た石川県の穴水町は、親戚を頼って終戦までの半年を過ごした疎開先。地域の人たちは皆が優しく、家族を失った寂しさをいたわってくれました。終戦後も、林家一門の落語家で落語会を開催するなど、私にとっては第二の故郷のよう。町の様子が落ち着いたら慰問に行きたいです」

 東京生まれの東京育ち。現在は台東区根岸の自宅で、長男の正蔵夫婦と、林家たま平(29)、林家ぽん平(27)として落語家の修業に励む、正蔵の息子二人と3世代で同居している。

「正蔵は本業に加え、落語協会の副会長としても頑張っています。隣に住む三平は一番の頼り。来年に迎えるお父さん(初代三平)の生誕100年の関連行事の準備を始めています。孫たちも落語家になって頑張っているし、いまは本当に幸せ」

 時とともに戦争を語り継ぐ世代が減り続けるいま、長年の取り組みはライフワークと化している。

「あれほど辛く悲しく、無残なものはありません。戦争を体験した者の責任として、生きている限りは続けます。私の後は、正蔵の嫁と三平が続けてほしい」

 戦後を代表する噺(はなし)家の女房は、戦禍の語り部として言葉を紡いでいる。

週刊新潮 2024年3月14日号掲載

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