海老名香葉子さんが語る、東京大空襲と、慰霊祭を自費で開催する理由
「昭和の爆笑王」こと初代林家三平の夫人で、エッセイストの海老名香葉子さん(90)の取り組みが20年の節目を迎えた。昭和20年3月10日に起きた東京大空襲の犠牲者を慰霊する〈時忘れじの集い〉で、今年は3月9日(土)に東京・上野公園で開催された。
【写真を見る】二人の息子たちも慰霊祭を全力でサポートしている
「都は毎年3月10日に〈平和の日 記念式典〉を行っています。私も参加していますが、出席できるのは招待者と公募の都民だけ。そこで、より多くの方が自由に参加できる、開かれた慰霊祭をやろうと考えたのです」
と語る香葉子さん。
太平洋戦争末期、帝都・東京は昭和19年11月から昭和20年8月にかけて、米軍による106回もの度重なる無差別爆撃にさらされた。いわゆる〈東京大空襲〉は昭和20年3月10日の大規模な夜間空襲のことで、死者は11万5000人を超え、負傷者は15万人以上、被害を受けた家屋は85万戸以上に達したとされる。
ギャラや寄付で運営
当時、11歳だった香葉子さんは静岡県沼津市に疎開中で難を逃れたものの、空襲で両親と祖母、3人の兄弟の家族6人を失った。
「これまで上野公園に〈哀しみの東京大空襲〉という慰霊碑と、〈平和の母子像 時忘れじの塔〉を建立しました。毎年、その前で供養式と記念式典を行っているんですよ」
塔や像の建設費、式典などの経費の出どころは香葉子さんの書籍の印税や講演料、テレビのギャラ。そこに個人からの寄付が加わる。
「本当に手作り。息子の(林家)正蔵(61)や三平(53)だけでなく、二人の嫁や孫まで、文字通りの家族総出です。一門の弟子たちも手弁当で手伝ってくれますね」
コロナ禍の影響で、令和2年から4年までは中止したが、3年ぶりに昨年から再開した。参加者は年々増え続け、多い時はおよそ1800人が集まったことも。
「集いを始めた頃は私と同世代の方もたくさんいらっしゃったけれど、だんだん少なくなってきました。今回、私と同じ90歳の女性は“今年はもう行けないから。皆さんで食べて下さい”と、箱いっぱいに詰めた駄菓子を送ってくれました」
昨年の慰霊祭では、平和への願いを込めて自身が作詞した歌「ババちゃまたちは伝えます」を、地元の幼稚園児たちが披露したそうだ。
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