「スイカップ」の大見出しから20年 元NHK古瀬絵理アナの今 グラビア再開のきっかけは

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27歳の時に初のグラビア

 NHKで4年間働いた後、フリーになりました。事務所に所属して、情報番組やバラエティ番組に出させていただきました。週刊現代で初めてグラビアをやったのは06年のことです。27歳でした。その後、何度も「グラビアやりませんか?」というお誘いがありましたが、自分の中で納得がいく面と納得がいかない面があって、お断りしていたんです。

 うまく立ち回れるような性格だったら良かったんですけど、そこまで器用ではなかったです。抵抗感もありましたし、ずっと、グラビア一本でいくわけではありません。当時、付き合っていた人にも反対されて、正直、嫌だなと思っていました。

 転機となったのは、たまたまテレビのロケでお会いして、グラビアの現場も多く手掛けていたヘアメイクさんからの言葉です。

「絵理ちゃん、どうして、あれからグラビアやらないの? すごく評判良かったし、もうこれからバンバン行くんだろうなって思っていたんだよね。人にはその人が持っているものと、持っていないものがある。芸能人はみんな持っていないものを必死で作って仕事をしている。絵理ちゃんは持っているのに、それを出さないっていうのはすごくもったいないことだよね」

 一度だけグラビアをやって、自分の中で迷いがあった時期です。この言葉で、流れに身を任せてみようと思うようになったんです。それで、週刊ビッグコミックスピリッツで、もう一度、グラビアをやることにしました。

 気持ちを切り替えて本気でやったら、結果はついてくるもので、そこから他の仕事もうまく回るようになりました。テレビ番組のレギュラーが決まったり、自分の名前が入ったラジオ番組が始まったりしました。

 フリーになって最初のころ、マネージャーから言われた「グラビアはプロモーションだよ」という言葉の意味がようやくわかりました。グラビアが、別の仕事を呼び込んでくれたみたいな部分はあるし、世間に知っていただくという意味でもよかったと思っています。

 そもそも、今の私があるのは、NHK時代に「スイカップ」と呼ばれたことがきっかけです。

後編【「スイカップ」報道後、NHK内は大騒ぎに…古瀬絵理が明かす上司からの「羽織もの」指令】へつづく

デイリー新潮編集部

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