ビッグモーターを告発した元幹部の“YouTuber社長”が兼重宏行氏へ送る挽歌「中卒の僕に年収1800万円の夢を与えてくれた恩は忘れません」

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「中卒」「営業経験ゼロ」の自分をたった1年半で店長にあげてくれた恩人

 中野氏がビッグ社の門を叩いたのは、2003年、27歳の頃であった。生まれは香川県さぬき市。高校を1年で中退、地元で土木現場を転々としたが、土木業界で中卒が得られる年収は500万円が限界だった。

 そんな時、目にした〈最高で年収1000万円〉と書かれたビッグ社の求人。もっと金が稼ぎたい。営業の世界で天下を取りたい。そう意気込んで飛び込むと、がむしゃらに働き始めた。

 営業未経験ながらも入社1年で成績は全国トップに。その半年後には店長。その後も大型店舗の店長、エリアマネージャー、会社の中枢である営業本部と、順調に出世の階段を駆け上がって行った。

兼重さんはいつも顧客の方を向いていた

 朝から晩まで働いた。血尿も出た。入院もした。だが、すぐに職場に舞い戻った。その常軌を逸した働きぶりについては別稿で詳述するが、血の滲む努力で中野氏が叩き出した数字に目を止め、引き上げてくれた人物こそ、兼重氏だった。

「僕が入った頃はまだ中四国地方に30店舗くらい展開していた時代で、社員もせいぜい1000人くらいだった。そのくらいまでは、兼重さんは社員全員の下の名前まで覚えていました。店舗視察の際も庶務の女性社員にまで気を遣って、『結婚おめでとう』と声をかけるような人だった」

 街路樹に枯葉剤を撒き散らすほど社員を追い込んだ「恐怖の環境整備点検」など、在籍していた頃には「見たことも聞いたこともない」。

「兼重さんはいつもふらりと1人で店舗に現れました。気づいたスタッフがお客さんを置いて出迎えに行こうとしたら、『何しとる! お客さんを優先しんさい!』です。あの人はいつも顧客の方を向いていました。顧客からの信頼無くして継続性のあるビジネスは展開出来ないという経営理念があったからです」

 ただ、業界特有の体育会系体質の中で醸成された「パワハラ」は昔からあった。オプション込みで契約させる強引な抱き合わせ商法も。今は中野氏自身も悪しき慣習に加担していたと反省している。

 “前兆”もあった。自分のことだけしか考えない幹部が兼重氏の目を盗んで、自分をよく見せるために空受注を現場に強いるなどのパワハラが横行していた。中野氏は退職する際、現場の足を引っ張っていた営業本部付きの幹部社員2人の横暴を兼重氏に直訴。“刺して”から辞めている。

「その時も兼重さんは激昂して、2人を即座に更迭。私を慰留してくれました」

 だが、ゴルフボールを用いて顧客の車に傷をつけるなど、顧客を根底から裏切ることが許される会社では絶対になかった。中野氏が会社を去った後、兼重氏が実権を副社長の息子に譲り渡し、その周りを“暴君”のご機嫌取りだけに徹する幹部たちが固めるようになってから起きたことだった。

テレビ出演を1週間でやめたワケ

〈売名したいんだろ〉
〈自分だって不正に加担して稼いだ金を元手に金儲けしたくせに〉

 テレビ出演を続けるうちにネットには中野氏への批判コメントも溢れかえるようになった。「世話になった会社をよく批判できますね」。昔の仲間からも嫌味を言われた。

 精神が疲弊していた頃、とうとう兼重氏が記者会見を開くという情報が入ってきた。それを聞いて以降、中野氏は取材を受けるのをやめた。

 自分の役目は終わった。あとは兼重さんが息子の首根っこを掴んでテレビカメラの前に引っ張り出して誠心誠意、言葉を尽くして謝罪すればいい。

 7月25日午前11時。中野氏は職場で同僚らとテレビを囲んで記者会見が始まるのを待った。だが、中野氏の期待はのっけから脆くも崩れ落ちたーー。

後編【「自分の胸に手を当てて考えろ」ビッグモーターを告発し、記者会見で兼重宏行氏から批判された元幹部の「反論と贖罪」に続く】

デイリー新潮編集部

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