センバツで大番狂わせ、「21世紀枠」が強豪校を撃破! 抽選会でなめたような相手の態度を見て、ナインが闘志 「高校野球の怖さを教えてやりますよ」

スポーツ 野球

  • ブックマーク

初安打をきっかけに流れが激変

 6回までエースが無安打に抑えたのに、ここから信じられないような暗転劇に泣いたのが、1992年の横浜である。

 下手投げエース・部坂俊之(元阪神)を中心に、攻守にまとまった横浜は、松井秀喜(元巨人など)の星稜や帝京とともに優勝候補に挙げられていた。初戦の相手は、部員19人の小所帯ながら、前年秋の四国大会で準優勝し、初出場をはたした新野だった。

 しかし、新野は、4番・主将の中川雅史が交通事故で右足を骨折して出場できず、エース・生田哲也も試合前日に38.4度の発熱でダウンと、ベストにほど遠いチーム状態だった。

 試合は序盤から横浜ペース。2回に死球と敵失を足場に2つのスクイズで2点を先制すると、4回にも二塁打に犠打を絡めてスクイズで3点目と手堅くリードを広げた。部坂も6回まで2四球のみの無安打に抑え、この時点で新野・中山寿人監督は「ノーヒットノーランを心配していた」という。

 ところが、前半飛ばした部坂は、7回から球が高めに浮きだし、先頭打者に初安打を許すと、打ち取ったはずの打球がイレギュラーする不運な一打で1点を失う。「愛甲(猛)に似て、強気が長所だが、欠点はすぐカッとなること」という渡辺元監督の心配が現実のものになり、8回は6長短打で一挙6失点。

「8回はボーッとして、何が何だかわからなかった」(部坂)

 一方、発熱から一夜明け、点滴を打ってマウンドに上がった生田は、尻上がりに調子を上げ、5回以降3安打無失点と、焦る横浜打線に的を絞らせなかった。

 優勝候補に7対3の快勝に、中山監督も「こんな展開で勝てるのか」と驚くばかり。無安打に抑えていても、初安打を許したことをきっかけに流れがガラリと変わってしまう。野球の恐ろしさを痛感させられる試合だった。

組み合わせ抽選で小躍り

 21世紀枠校が優勝候補に快勝し、でっかい甲子園初白星を挙げたのが、2005年の1回戦、一迫商対修徳である。

 修徳は前年夏の甲子園で8強入りした主力8人が残り、駒大苫小牧、愛工大名電とともに優勝候補に挙げられていた。

 組み合わせ抽選で1回戦の相手が一迫商に決まった直後、修徳ナインは「初戦は貰った!」とばかりに、小躍りしてガッツポーズを繰り返した。だが、この相手をなめたような態度が、一迫商ナインの闘志に火をつける。

「そういう人たちには負けたくない。何が起こるかわからないのが高校野球。怖さを教えてやりますよ」(三浦良祐捕手)

 その言葉どおり、1回表、先頭打者・三浦が左前安打で出塁。2番・佐藤祐也も内野安打で続き、送りバントで走者を進めたあと、4番・佐々木勝康のスクイズと佐藤勇の内野安打で2点を先制した。

 3回にも四球を足場に斉藤勝(元日本ハム)の暴投に乗じて1点を追加。5回にも2死二塁から佐藤勇のタイムリーと千葉俊博の二塁打でダメ押しの2点を加え、5対0と圧倒した。

 167センチのエース・佐藤勇も最速129キロながら丹念に低めをついて要所を締め、終わってみれば2失点完投。優勝候補を5対2で下し、見事ガッツポーズした修徳ナインを見返した。

 優勝候補相手に意地を見せたナインの健闘に、熊谷貞男監督も「修徳さんという名前にけっして気後れはなかった。ウチは相手が強ければ強いほど力を出すタイプみたい」と賛辞を惜しまなかった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。