【君が心をくれたから】雨が可哀想すぎて観ていられない…それでも耐え続ける視聴者の心境は

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せめてハッピーエンドを

 総じて、第4話までは不幸が80~90%、第5話から第9話は70~80%といったところでしょうか。そのために視聴者が離れてしまったことは否めないと思います。娯楽として観ているのに、試練が課せられるのはつらいですから。しかし、あと2割くらい不幸の比率が下がって救いと入れ替わっていたら、もっと多くの人が、見続けることができたのではないでしょうか。

 救われるのは、不幸のなかで貫かれる純愛が、現実世界には存在しないと思われるほどピュアなことです。だから「キャラクターに深みがない」と評するムキもあるようですが、私はそういう評は支持しません。

 世知辛い世の中だからこそ、ピュアな感情に触れることに価値があります。非現実的なほど純粋だから、憧れの対象になります。いつでも自分を犠牲にして、相手が幸せになる道を模索する雨と太陽は、たしかにリアリティには欠けますが、代わりに美しいです。五感が一つずつ失われるということ自体、きわめて非現実的ですが、その設定のおかげで、それぞれの感覚の大切さを再確認することもできます。

 そんなことを感じることができるから、私をはじめ、苦しみながらも観続ける人がいるのだと思います。視聴率が下がりきらないワケも、そのあたりにあるのでしょう。

 でも、いっておかなければならないことがあります。気が滅入りながらもここまで見続けてきた視聴者の多くは、最後には大きな救いがあると信じています。ハッピーエンドを期待しています。いつか救いがある、と思うから耐えられる。試練を乗り越えるとはそういうことです。ここまで耐えた視聴者に、せめて最後はご褒美をあげてほしいです。

 高視聴率をねらうためには、不幸の比率を早い時期からもっと下げておく必要がありました。しかし、それはいまさらの話です。最後に大きな救いがなければ、雨と太陽は救われないし、耐え続けた視聴者も救われません。そのときの後味は――。想像したくありません。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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