実父の葬儀で出逢った女性と不倫関係に…あっという間に夢中になって“ふと思った重大な事”、49歳夫が明かす「後悔と葛藤」

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すべてに父の影がチラチラ見える

 もちろん、人の気持ちを力ずくで変えることなどできない。だから弘哉さんは苦しんだ。彼女は弘哉さんを本当にひとりの人間として見てくれているのか、父の身代わりでしかないのか。葛藤を重ねながらも、関係は続いていった。

「別れたほうが気持ちが楽になる。自分には家庭がある。そう思っているのに、週に何度か彼女のもとに足が向いてしまう。オヤジよりもっと強烈な快感を与えてやるとムキになったこともある。彼女はそんな僕を常に受け入れてくれた。一方で、普通のデートもしました。ジャズクラブに一緒に行ったこともあります。彼女はとても楽しそうだった。かと思うと、一緒にいるとき急に沈むこともあった。そのすべてに父の影がチラチラ見える」

 父のことをことさら考えたことなどなかった。「ごく普通の父で、何かを強制してくることもない」優しい父という印象しかなかったのだ。だからこそ、父の多面性をどう受け止めていいかもわからなかった。彼は紗和子さんを父から託されたような気持ちになっていった。

 その間、家庭ではごく自然にふるまうよう自分を律していたつもりだったと彼は言う。

「玄関を入るまえに、外でのすべてを、もちろん紗和子さんのことも振り払うようにしていました。家では菜々美と子どもたちのことだけを考えようと。夏休みには必ず一緒に旅行もしたし、子どもたちの学校行事にもできるだけ参加していた。おそらく妻は疑っていなかったはず。紗和子さんは、家庭での僕について何も聞こうとしなかった。それがなんだか悔しくて、彼女の家で、自分から妻とのなれそめや、妻がパートで働いていること、一家団欒のことなどペラペラ話したことがあります。彼女は黙って聞いていたけど、その日は食事が終わるとすぐ『今日は帰って』と言われてしまいました。少しは嫉妬したのかもしれないと思ったんですが、あとから猛烈に後悔しましたね。わざわざ彼女を傷つける真似をした自分が恥ずかしかった」

10年の二重生活

 そんな日々が、実に10年にわたって続いてきた。地方に住む紗和子さんの両親が相次いで亡くなり、落ち込む彼女を支えながら実家まで送り届けたこともある。表には出られなかったが、彼は自分の立場でできることを精一杯やってきた。それが愛情表現だったのだ。紗和子さんも、そんな弘哉さんの気持ちを確実に受け止めるようになっていった。いつしか彼は父の代わりではなくなっていた。

「彼女の自宅近くの居酒屋には、よくふたりで行きました。彼女曰く、父とは外で食事したことがほとんどないと言っていた。僕は父とは異なるつきあい方をしたかったというのもあって、彼女とはときどき外食もしましたよ。その居酒屋では、わけありだと店主は思っていたでしょうけど、他の常連さんたちとも少しずつ話すようになりました。詮索してくる人もいなかった。彼女はひとりでもときどき、その店に行っていたようだから、僕らが非難されなかったのは、彼女の人徳でしょうね」

 二重生活に近い暮らしだったが、うまくいっていた。なのになぜ急に妻の知るところとなったのだろうか。

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