「オレはもう長くないんです」肝臓がんになったことを告げると、堀内恒夫は何と言ったか…うどん屋になった元巨人、ドラ1投手の告白

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成功の秘訣は、「ずっと変わらないこと」

 家族の願いを載せた手術は19時間に及んだ。小さながんは157個もあったが、丁寧に一つずつ取り除かれた。横山自身も、ドナーとなった妻も、ともに術後の経過は安定していた。手術は成功したのだ。

「うちのヤツが肝臓を提供してくれたから、オレは今でもこうして元気でいられる。最初の2回の手術後は、それでも酒を呑んでいたんだけど、3回目の手術以降、ピタリと酒はやめた。それから は1滴も呑んでいない。オレがあいつにしてやれることは何もない。それぐらいのことしか、オレにはできないから……」

 先日、立教大学野球部時代の同級生だった作家の伊集院静が亡くなった。大病を経た横山にとって、かつての仲間の死が切なく胸に迫る。横山には、恩師である長嶋茂雄と、親友である伊集院との間に忘れられないエピソードがある。それは、堀内が参議院議員になったお祝いの席でのことだった。

「ホリさんのパーティーに、長嶋さん、そして伊集院に来てもらったことがあるんだよ。長嶋さんは所用のために途中で帰らなくてはいけなくなった。だからオレも一緒に出て車を待っていたんだけど、そのときに伊集院も外に出てきて、“長嶋さん、どうも!”なんてあいさつするんですよ。すると、長嶋さんが伊集院に“先生、お久しぶりです!”ってあいさつをしたんだ。だからオレは、“コイツは大学の同期なんです”って紹介したんだけど、そのとき長嶋さんは“先生に向かって、コイツとは何だ!”って。既にどこかで会っていてすっかり親しくしていたんだろうけど、オレにとっては“コイツはコイツですから”って言うと、長嶋さんはさらに慌ててね。長嶋さんのあんな姿は初めて見たなぁ(笑)」

 さまざまな紆余曲折がありながらも、74歳となった現在まで、横山はずっと店に立っている。自分では「決して接客は得意ではない」と語る横山に、「第二の人生を成功させる秘訣とは?」と尋ねると、「うーん」と考えた後にゆっくりと口を開いた。

「いいか悪いかは別として、ずっと変わらないことかな? 40年以上、麺も自分で打って、だしもずっと変えていない。なかには、“少しは変えろよ”という人もいるかもしれないけど、それでも“あそこに行けば、いつもの味が楽しめる”という人もいるかもしれない。だから、“ずっと変わらずに続けること”が大切なんじゃないのかな?」

 まさか、こんなに長い間、うどん店の店主として過ごすことになるとは自分でも想像もしていなかった。けれども、多くの常連客に愛され、変わらぬ味を提供し、池袋を代表する名店を築き上げた。

「まぁ、いろいろあったけど、商売だから、いいときもあれば、悪いときもある。それでも、こうやって続けてこられたのは、お客さんや仲間のおかげだよね。いい仲間に恵まれました。本当に感謝ですよ」

 時代は変わった、年齢も重ねた。それでも、42年間変わらぬ味で、変わらぬ思いで、うどん店店主として、横山忠夫は毎日を力強く生きている――。
(了・文中敬称略)

前編【ベンチから非情な“故意死球”命令…元巨人、ドラ1投手はその瞬間、引退を決意した「もう、野球に関わる仕事はやめよう」】のつづき

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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