辿りついたところがゴール 横尾忠則の「運命のいいなりに従う」生き方

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 絵のモチーフは何んですか? とよく聞かれますが、僕には特定のモチーフがない、ということが正直な答えですかね。極端な言い方をすればモチーフは何んだっていいんです。モチーフはその時の気分で変ります。僕にとってモチーフはそれほど重要ではないのです。

 僕にとってのモチーフは食べ物に近いと思います。その日、その時の生理に従がってメニューを選ぶように、絵も生理なんです。決して考えではないんです。絵は考えであると決めつけて描くコンセプチュアルアーティストもいます。むしろこのタイプのアーティストが主流かも知れません。

 僕みたいに出たとこ勝負で、しかも無手勝流で、その表現(様式)もバラバラな画家は少数派です。ひとりの画家が描いたとは思えないほど、その時の気分で様々な様式の絵を描きます。だから、こういう画家は商売になりにくいのです。日替りメニューみたいな絵では画廊も評論家も学芸員もコレクターもみんな困ります。どのスタイルの絵を評価していいのやら迷ってしまうからです。

 ということは評価の対象を最初から逸脱しているのです。評価されるためには、一目でこの絵が誰のものかとわかる絵を描く必要がありますが、僕は、それが面白くないのです。なぜ画家が特定のスタイル(様式)を持たなければならないのでしょうか? 僕にとっての絵の醍醐味は、スタイルがコロコロ変ることです。人間の生理が瞬間瞬間変るように絵も僕にとっては生理ですから、描く絵が片っ端から変ることが、むしろ僕にとっての自然体なんです。意図的にコンセプチュアル精神でスタイルを変えようとは一切していません。

 生理というか、僕の性格に忠実に従がっているだけ。僕の精神の多様性の反応といえばいいかな? まあ、そんなとこです。元々僕の性格は多義的であると同時に飽き性なんです。本当は環境をコロコロ変えたいのですが、そんなわけにはいかないので、僕自身を次々変化させていくことで、一ヶ所に留まることを避け続けているのです。

 思想や観念で作風を変化させているわけではないのです。ただ単純に飽きっぽい性格に従がっているだけです。ということは、僕の絵に特定のモチーフがないのは、いつも自由でいたいと思うからかも知れませんね。それともうひとつは、気が多い性格がそうさせているようにも思います。色んな事物に目移りがしてしまうのです。あれもいい、これもいい、あっちへも、そっちへも行きたい。そんな多重的方向性を持った人間なのかも知れません。

 僕が美術大学に行けなかったのはたぶんに運命的なものが影響していたと思いますが、それも、そうなるようになった結果だと思います。生理や状況に合わせて生きてきたということは、つまり運命のいいなりに従がってきたからかも知れません。僕のような人間は、どう考えても美大のアカデミズムには合いそうになく、入ったとしても、いずれ中退してしまっていたでしょう。アカデミズムという制約と条件の中では、とってもやっていけないタイプの性格の人間だからです。だから独学で丁度よかったように思います。

 ですから、もし僕に先生がいるとすれば、それは運命が先生ということになりますかね。運命という僕の先生は実に無責任極まりない存在です。何も指示しないで、状況を与えるだけです。そしてその状況に従がわせるだけ。便利といえば便利でいいです。特別考えたり、努力する必要もないからです。与えられた状況の中で、向こうからやってきた対象にただ黙って対処すればいいだけで、この状況の中で、必要以上の欲望を持たなければ、こんな便利なことはありません。ただその状況に余計な抵抗さえしなければ、行くところに流されて行きます。そして辿りついたところが、僕のやるべきことのゴールでもあるのです。

 僕にはコンセプトがないので、考えたり、悩んだりすることはありません。ただ、何かに期待を持つことは拒否されています。つまり目的など最初からないのです。もしあるとすれば、運命の気紛れが運命の目的であったのかも知れません。でも運命に生というか命をあずける生き方は一般的には危険なように思われますが、僕はそれを一度も危険だと思ったことがありません。どこに連れていかれるのか、どこに運ばれていくのか、ということに僕は期待があったからです。何が起こるかわからない不安や恐怖よりも、むしろ未知へ連れていかれる冒険への誘惑に快感があったのです。

 そんな結果が現在の僕の人生であったと思います。あの時、あゝすればもっとよかった、というようなことはないですね。そんな想いに従がっていれば、僕はとんでもない不幸に見廻われて、もしかしたら命を落としたかも知れません。「なるようになる」ということは自分の人生に対して全面降伏することだと思います。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年3月7日号掲載

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