【本田美奈子.の生き方】マネジャーが忘れ物を取りに病室に戻ると…闘病中にみせた彼女の優しさ

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故郷を大切にしていた

 さて、亡くなった翌月の12月16日、夜9時からフジテレビが「天使になった歌姫・本田美奈子.」というドキュメンタリー番組を放送した。見た人も多かったと思うが、病状が回復に向かっていた時期、フジは完全復帰までのドキュメンタリーを制作しようと取材を始めたという。

 彼女が残した約5時間にわたるテープと、家族が撮影した写真から、これまでの歩みと闘病を振り返った番組だった。本田さんは同じ病院に入院していた知人を元気づけようと、毎日のようにメッセージをテープに吹き込み、最後に歌を贈った。アカペラで歌いあげる「アメイジング・グレイス」。力強くて心のこもった歌声だ。本当に歌うことが大好きだったんだなあ。そのことがひしひしと伝わってくる秀作の番組でもあった。

 東京生まれの本田さんだが、2歳から埼玉県朝霞市で育っただけに、「ふるさとは埼玉」と言っていいだろう。歌手デビューし、ミュージカルなどで幅広く活躍するようになっても、地元を離れることはなかった。

 朝霞警察署の一日署長を引き受けるなど、地域とのつながりを大切にした。2001年4月の朝日新聞のインタビュー(埼玉県版)でも「土いじりをきっかけにした地域の人たちとのふれあいがたまんない」と屈託なく語っていた。

 東武東上線朝霞駅の南口には、本田さんのモニュメントがある。「ふるさと朝霞を愛した功績をたたえて」と地元商工会が市に提案。特殊加工で本田さんの顔写真が埋め込まれ、ボタンを操作すると澄んだ本田さんの歌声が流れる仕組みだ。2007年に完成した。

 除幕式には、友人代表としてタレントの早見優さんらが参加。母親の工藤さんは「感無量です。駅に降り立つ皆さんに元気を与えてほしい」と語った。

 27歳で夭逝した俳優の夏目雅子さん(1957~1985)のように、スターはいつまでもいつまでも語り継がれる。まさにスターとは、真昼の明るさの中では見えなくても、陽が落ちて暗くなると輝き始める星のような存在なのだろう。寂しくなったとき、夜空を見上げてみよう。本田さんはいつも私たちのそばにいる。

 次回は「燃える闘魂」のキャッチフレーズで人気を呼び、2022年に79歳で亡くなったアントニオ猪木(1943~2022)。ボクシングの世界王者モハメド・アリ(1942~2016)との異種格闘技戦など時代を先取りしたアイデアと抜群の行動力。ショー的要素が強いプロレスとは決別し、「ストロングスタイルのプロレス」をめざした猪木。病魔に冒されても、闘魂の魂は燃え尽きなかった。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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