「世界一の高さを目指した」は俗説だった! 東京タワーがエッフェル塔よりも高くなった「意外な理由」

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 東京タワーといえば、1958(昭和33)年の竣工当時、自立式鉄塔として世界一の高さを誇った電波塔である。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でも描かれたように、戦後復興の象徴として多くの人に愛されてきた。

 ところで、なぜ東京タワーの高さは333メートルとなったのだろうか。「パリのエッフェル塔(当時、約321メートル)を抜く世界一の塔を目指した」とする説もあるが、じつは本当の理由は別にあったという。
 
 東洋大学准教授の大澤昭彦さんの新刊『正力ドームvs.NHKタワー 幻の巨大建築抗争史』(新潮選書)には、その経緯が詳しく書かれている。一部を再編集してお届けしよう。

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333メートルに決まるまで

 東京タワーの設計は日建設計工務(現日建設計)が担い、構造設計については塔博士、建築構造学者である内藤多仲早稲田大学教授が手掛けた。東京タワーは鉄骨造であるが、当初、内藤は鉄筋コンクリート造での建設を検討していた。日本電波塔が発足する前年、ドイツのシュツットガルトの丘陵地に、高さ約213メートル(現在217メートル)のテレビ塔が完成した。この塔の構造が鉄筋コンクリートだった。
 
 設計者で土木エンジニアのフリッツ・レオンハルトは塔の設計にあたって煙突からヒントを得ていた。「構造物は美しくなければならない」との信念を持っていたレオンハルトだったが、「煙突」と「美」は相反するように思える。レオンハルトは、エッフェル塔のような末広がりの鉄塔は風景を阻害しているのではないかとの疑問を持っていた。むしろ煙突のようにまっすぐ空に伸びるスレンダーな塔の方が美観に資すると考えたのである。シュツットガルトのテレビ塔を皮切りにヨーロッパでは鉄筋コンクリート造の電波塔が普及し、タワーの新潮流となりつつあった。

 鉄筋コンクリート造のタワーは日本にも先例があった。それが福島県原町につくられた原町無線塔だ(正式名称は逓信省磐城無線電信局原町送信所主塔)。無線送信を目的として逓信省の設計で1920(大正9)年9月30日に完成した(送信開始は翌年3月)。高さ201.16メートル、直径は頂部が1.81メートル、基部が17.7メートルの細長い塔であった。その高さは、自立式の建造物としては東洋一といわれた。1923(大正12)年9月の関東大震災時には、この無線塔からアメリカへ打電され、アメリカによる迅速な救済支援につながった。
 
 内藤は、戦前に愛宕山のNHKラジオ塔を設計する際に原町無線塔を参考にしていた。当時、風力の影響については十分な研究蓄積がなかったことから、日本一の自立式タワーであった原町無線塔のデータを用いたのである。

 だが、新しいテレビ塔は原町無線塔よりも100メートル以上も高い。また、日本では地震と台風の揺れを考慮しなければならない。検討の結果、鉄筋コンクリート造は重くなりすぎることや地震に耐えうる基礎の設計が困難であるとして断念。結局、鉄骨造で建設されることになった。
 
 構造が決まると今度は高さが検討された。関東全域に電波を届けるためには塔の高さを300メートル以上にしなければならない。そこに6局分のアンテナを載せると380メートルになる。しかし、強風時のアンテナの揺れ角度の制限等から320メートルくらいに下げざるを得なくなった。地上風速60メートル/秒、頂部で90メートル/秒の風に耐えうる設計が行われた。
 
 着工当時の高さは、塔体260メートルの上にアンテナ部分61.66メートルを加えた321.66メートルだった。ところが、各局の要望を取り入れようとすると、アンテナが62メートル内に収まらないことがわかり、約80メートルに伸びた。そこで塔体の頂部を一部切除して高さを調整し、塔体253メートルにアンテナ部分80メートルを加えた333メートルに落ち着いた。
 
 日本電波塔社長の前田久吉は、東京タワーの高さが333メートルである理由として、「どうせつくるなら世界一を……。エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない」(前田久吉『東京タワー物語』)と記したが、実のところ世界一の高さを目指したためではなく、技術的な要請によるものだった。

※本記事は、大澤昭彦『正力ドームvs.NHKタワー 幻の巨大建築抗争史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

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