「不適切にもほどがある!」共感される秘密? 人はなぜ「昔話」が大好きなのか

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Z世代だって“昔話”をする

 実際、Z世代もよくよく観察すると“昔話”を頻繁にしている。筆者は大学教員という仕事柄、Z世代の若者たちと行動を共にすることがある。先日も、若者たちとある有名ラーメン店に入った際に、ミュージシャンのサイン入り色紙が壁に貼ってあるのが話題になった。彼らは「懐かしい…この歌」「あの曲よかったよね、よく聴いた…」と“昔話“に花を咲かせていた。昔話は、おじさんばかりの専売特許ではない。Z世代も大好きなのだ。

 たしかに、価値観が多様化した現在、昭和の時代ほどには映画やテレビ番組や音楽で「みんなでハマって熱狂する」という経験を、若い世代は持ちにくくなっている。だからこそ、そこにある種の「孤独感」があり、他の人とつながりたいという欲求が人一倍強いのかもしれない。

 人間は“昔話”で共通する体験を確かめ合い、一体感を持ってつながろうとする生き物なのかもしれない。

人間同士が共感し合えるものは何だろうか

「不適切にもほどがある!」が描いた“昔話“とは何か。それは“時代の記憶”もそのひとつかもしれない。

 繰り返しになるが、現代は、人と何かを共有することがつくづく難しい時代だ。だからこそ、このドラマのように共有できる「昔話」をテーマにする物語に、人々は惹かれていくのではないだろうか。前回「ラジオ番組にハガキ、既読スルー問題…『不適切にもほどがある!』 メディア論でひもとく昭和と令和の『あるある』」という記事を配信したところ、コメント欄が読者の“あるある”“昔話”であふれたこともその根拠だ。

 昨年、日本テレビが制作し数々の賞を総なめにしたドラマ「ブラッシュアップライフ」(脚本バカリズム)もまた、タイムマシンこそ出てこなかったものの、主人公が人生をやり直すなかで、小学生時代、中学生時代、高校生時代とそれぞれの時代で流行ったものを「追体験」していくディテールが描かれていた。

 視聴者との間に時代ごとの「あるある」体験を共有することで、共感の輪が広がっていく。ドラマ「不適切にもほどがある!」もそうした「あるある」を通じて人と人とのつながりを模索しているように思える。筆者の周辺のZ世代の若者たちにも、このドラマは共感できると評判がいい。その理由は「あるある」「昔話」にあるのかもしれない。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部

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