不倫相手と元恋人が自死… 山本陽子さんの波乱万丈な人生【追悼】
若かりし頃にサラリーマンが選ぶ「理想の妻」に何度も選ばれた美貌の持ち主は、後年、あけすけな大恋愛を繰り広げて「恋多き女」「魔性の女」と呼称されるに至った。生涯独身を貫きながら、二人の俳優の死にも直面したその波乱万丈の人生を振り返る。
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テレビドラマや山本海苔店のCMでの艶麗な和服姿でおなじみだった山本陽子さんが2月20日、静岡県熱海市の自宅で急性心不全により亡くなった。
1942年3月17日、東京都中野区生まれ。都内の公立小中を経て、國學院高校に入学した彼女が卒業後、最初に職を得たのは撮影所ではなく証券会社だった。
芸能デスクが言う。
「彼女は17歳で野村證券に入社し、本社営業の投資相談部に配属されています。3年間をその場所で、OLとして過ごしたのです」
転機は21歳の時に訪れた。
「職場の同僚が彼女に無断で日活のニューフェイスに応募。そのことがきっかけとなり、63年4月に日活に入社しています」
田宮二郎の自宅近くのマンションに“愛人部屋”
当時の彼女について、吉永小百合(78)、松原智恵子(79)と共に「日活三人娘」として活躍した和泉雅子(76)は次のように語る。
「日活には社会人経験のある俳優は皆無でしたから、周囲は彼女の存在を新鮮に受け止めていましたね。印象に残っているのは、陽子ちゃんが美肌にこだわっていて、(美容)クリームなどにもすごく関心を持っていたこと。大人だなって、驚いた記憶があります」
一方、娯楽映画研究家の佐藤利明氏は、
「駆け出し時代の山本さんさんで印象的な作品は、吉永さん主演の映画『光る海』(63年)。山本さんさんはノークレジットの女学生の一人として出演しているのですが、なんて綺麗な女優さんなのだろうと思いました」
そう原石時代を評価するが、彼女が本領を発揮するようになるのは、テレビドラマの世界に身を投じてからだった。なかでも、俳優の田宮二郎と共演したTBS「白い影」(73年)、「白い滑走路」(74年)での演技は好評を博したのだが、
「その共演がきっかけで、彼女と田宮は不倫関係に陥ります。田宮が大胆にも、自宅近くのマンションに彼女の“愛人部屋”を購入したとの醜聞が持ち上がったのです」(前出・デスク)
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