中日のドラ1が早くも離脱…「ルーキーイヤー」を故障で棒に振った“有望選手”

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松葉杖をついて合宿所に直行

 五輪日本代表チームの4番を打ち、“若松2世”と期待されながら、1年目に思わぬケガに泣いたのが、1986年にドラフト2位でヤクルト入りした荒井幸雄である。

 身長170センチと野球選手としては小柄ながら、抜群の打撃センスを持つ荒井は、84年のロス五輪では4番打者として22打数11安打2本塁打8打点の活躍で金メダルに貢献。

 ヤクルト入団1年目のユマキャンプでも、紅白戦で首位打者になり、即戦力をアピールした。“小さな大打者”と呼ばれた若松勉選手兼任コーチも15年前の自分自身を重ね合わせ、「きっといい選手になるよ」と太鼓判を押した。

 だが、帰国後、3月4日の練習中に左翼フェンスに激突し、右足くるぶしを骨折、全治6週間と診断され、大きく出遅れた。

 入院中もハンドグリップとバーベルを片時も離さず、懸命にリハビリを続けた荒井は、5月10日に退院すると、「1日も早く野球がしたい」と松葉杖をついて合宿所に直行。オールスター明けの2軍戦で実戦復帰するところまで回復したが、今度は右太ももの肉離れを発症。

 相次ぐ故障で1軍デビューは9月24日の大洋戦まで遅れたが、1回2死一、三塁のチャンスに右前タイムリーを放ち、プロ初打席初安打初打点を記録した。そして翌87年は、主に1番打者として105試合に出場し、打率.301、9本塁打、38打点で、2年目の新人王に輝いている。

遅咲きの“守護神”

 ドラフト1位の即戦力投手と期待されて入団したにもかかわらず、オープン戦直前に肘の故障で長期離脱の無念を味わったのが、2014年のヤクルト・杉浦稔大である。

 国学院大時代は東都1部リーグで通算12勝を記録。“岩隈(久志)2世”と注目を集めた杉浦は、大瀬良大地(九州共立大→広島)の外れ1位ながら、エースナンバーの18番を貰い、1年目から先発ローテ入りが期待された。

 新人合同自主トレまでは順調だったが、2月のキャンプ中、右肘に「張りのような」違和感を覚えたのが、異変の始まりだった。同19日の練習試合、中日戦で3回からリリーフで実戦デビューも、張りは収まらない。大事を取って、同25日の練習試合、ロッテ戦の登板を回避し、2日間別メニューで調整したが、復調しなかった。

 さらに3月14日、病院検査の結果、「右肘内側側副靭帯断裂」と診断された。幸い手術は回避できたものの、9月10日のDeNA戦までデビューが遅れ、登板4試合の2勝2敗に終わった。

 翌年以降も肩、肘の故障に悩まされ、4年間で通算6勝8敗と結果を出せなかった杉浦だが、「故障が続くのは、腕を振ることに頼った投げ方をしているからではないか」と自己分析し、フォーム改造と下半身強化に取り組んだ結果、日本ハム移籍後の2020年に先発で6勝を挙げるなど、17試合で7勝1セーブと躍進。翌21年も守護神として3勝28セーブを記録し、遅咲きの花を咲かせた。

 創志学園時代は西純矢(阪神)の控え投手で、亜細亜大では3年春まで打撃投手を続け、3年秋に初先発初完封と長年の努力が報われた草加だけに、プロ1年目の試練も乗り越えてもらいたい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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