中日のドラ1が早くも離脱…「ルーキーイヤー」を故障で棒に振った“有望選手”
若田部健一とともにドラフトの目玉だった右腕
即戦力の呼び声が高かった中日の“ドラ1”ルーキー・草加勝が新人合同自主トレ中に右肘の違和感を訴えて離脱した。その後、「右肘内側側副靱帯損傷」と診断され、2月1日にトミージョン手術を受けたことから、今季中の復帰は絶望的になった。そして、過去にも期待されて入団しながら、1年目を故障で棒に振った不運なルーキーがいた。【久保田龍雄/ライター】
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草加同様、中日の“ドラ1”として入団も、1年目を肘の手術で棒に振ったのが、落合英二である。
駒澤大・若田部健一(4球団が競合し、ダイエーが1位指名)とともに、1991年のドラフトの目玉だった日本大の最速152キロ右腕は、4年春のリーグ戦、駒大戦で右肘を亀裂骨折。秋のリーグ戦も1試合1イニングの登板で終わっていたため、各球団は指名をためらった。
そんななかで、東北福祉大・斎藤隆の競合抽選で大洋に敗れた中日が「とにかくボールの速い投手をということで、故障を承知で指名した。骨折については治ると編成から返事が来ている」(高木守道監督)と外れ1位で指名した。
「入団条件なんて言える立場じゃありません。スカウトの方の顔を潰さないように精一杯頑張るだけです」と復活を誓った落合は、年明け後の92年1月に岡山市の病院で、約3.5センチの亀裂部分に長さ5センチ×2.5センチ、直径2.4ミリのサファイア棒2本を埋め込む手術を受けた。肘は投手の生命線なので、ボルトではなく、力が均一に伝わるようサファイアを選んだのだ。
最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得
5日後に退院した落合は、卒業試験を終えると、栃木県の実家で連日リハビリに励んだ。翌93年6月にウエスタン初登板をはたすと、オールスター明けに1軍初昇格。7月28日の横浜戦、7対1とリードした9回に山本昌をリリーフした落合は、緊張して先頭打者にストレートの四球を許すも、高木豊を三ゴロ併殺、ローズを遊ゴロに打ち取り、無失点でプロデビューを飾る。球速もローズの2球目に147キロをマークした。
その後は3年目に中継ぎ、4年目に先発と順調にステップアップ、98年には守護神・宣銅烈へのつなぎ役として55試合に登板、4勝5セーブを挙げ、最優秀中継ぎ投手のタイトルを手にした。
さらに、落合博満監督1年目の2004年には、不調の岩瀬仁紀に代わって抑えを任されるなど、4勝10セーブを記録し、リーグ優勝に貢献している。
現在、中日の2軍投手兼育成コーチとして、リハビリ中の草加を指導する立場になった落合は「東都(リーグ)から外れ1位も一緒ですよね。違うのは、僕はキャンプどころか入寮すらできなかったことかな」と苦闘の1年目を回想している。
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