【能登半島地震】馳知事は「ボランティアを控えるように」と言ってひんしゅくを買っただけ、飯田高校の出願者は半減…地元写真館オーナーが語る「珠洲市のいま」
救助を頼むこともできない…
地震発生時、坂さんの妻は母親が住む金沢市にいたため無事だった。
「電気が回復するまで車中泊でしたが、1人だったのであちこち撮影にも行けたんです」
坂さんがカメラを手に外に出ると、1階部分が完全に押しつぶされ、2階が1階に見える家があった。その前に佇んでいた女性に話を聞くと、夫が家屋の下敷きになっていて声をかけても返事がなく、110番もつながらないという。瓦礫はとても人力で持ち上がるものではない。
「女性が持っていたドコモの携帯電話は駄目だったそうです。『僕のはauだから』と試してみましたがつながらない。『じゃあ、大至急、ネット配信して応援を頼みます』とスタジオに駆け戻りました」
しかし、それもつながらなかった。
「(救助が間に合わず)ご主人は亡くなったそうで、後で現場に行くと花束が置いてありました。何もできなかったことが一番辛かった」と無力感に苛まれた。
対策をしてこなかった行政
坂さんが強調することがある。
「珠洲市では大きな地震が3年連続で起きているんですよ。毎年、地震の破壊力が増していた。それなのに行政は、何も対策をしていなかった。今回の地震で家を失った人たちが、氷点下の中、市役所の2階、3階の廊下に寝ている。これが現代の日本かと思いました。役人には何を聞いても『分かりません。上司に聞いてください』ばかりでしたが、上司がどこにいるか聞いても『知らない』と言うんです」
珠洲市では2023年5月に震度6強、22年6月に震度6弱の地震を観測した。それにもかかわらず、現市長(泉谷満寿裕氏=5期目)は防災強化に必死に取り組んだとは思えず、観光客誘致にばかり熱心だった、と坂さんは言う。
「馳(浩)石川県知事も『ボランティアを控えるように』とか言って顰蹙を買った。彼は金沢市の高校教員(私立星稜高校)やプロレスラーを経て政治家になった、森(喜朗)さんの直系。だから、保守王国・石川の県紙・北國新聞も最初は応援していましたが、最近は反旗を翻し始めたと聞いています」と坂さんは声を潜めた。
馳知事の会見などをテレビで見ても、およそ指導力があるとは思えなかった。大災害が起こると、自治体の首長は全国的に知れ渡り、その手腕に注目が集まる。2004年の新潟中越地震で高く評価された山古志村の村長・長島忠美氏のような政治家もいれば、ここでは名は伏せるが、現場取材していて無能無策であきれた首長もいる。
「珠洲はもうこれで3回目の地震。一体、行政は何をしていたのか。ここで100人以上が亡くなりましたが、耐震補強をしていれば助かった人は多い。対策を求めていたのに何もしなかった」
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