プロ野球史上ただ一人!中日と巨人で「逆転満塁サヨナラ本塁打」を2発も放った“伝説の好打者”

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医師から「野球はもう無理」と宣告

 代打逆転満塁サヨナラホームランを打った選手は、これまで8人が名を連ねている。だが、「逆転満塁サヨナラ」の肩書が付くホームランを2度にわたって打った選手は、長いプロ野球の歴史の中でも、広野功ただ一人だ。【久保田龍雄/ライター】

 慶応大時代に長嶋茂雄と並ぶ当時の東京六大学最多の8本塁打を記録した広野は、1965年の第1回ドラフトで中日から3位指名され、プロ入り。同期の巨人・堀内恒夫と新人王争いのライバル同士と注目されたが、年明け早々の対談の席で、堀内が高卒1年目と思えぬ大胆発言を連発したことから、広野は「あいつにだけは負けたくない」と闘志を燃やした。

 だが、シーズン開幕を前に、一転選手生命の危機に立たされる。翌66年3月15日のメキシコ・タイガース(2Aのチーム)戦で、本塁突入時に右肩を脱臼。肩がまったく動かず、医師からは「野球はもう無理」と宣告されてしまう。

 一時は「野球を辞めて(郷里)徳島に帰ろうか」と考えたが、「功、腕がちぎれたというのならそれも許しましょう。でも、そうでないのなら、この家には入れません」と母から叱責され、再び名古屋に戻った。

「その後の私は、母のために打とうと、それだけを考えていたように思います」(宮崎正博著「挫折からつかんだ誇り高き『二発』の勲章」 ベースボールマガジン社「発掘!『プロ野球名勝負』激闘編」収録)。

プロ初打席、初安打、初打点デビュー

 そんな思いが天に通じたのか、痛みをこらえながらスイングやスローイングを続けるうち、いつの間にか、普通にプレーできるまでに回復した。

 5月に1軍に上がった広野は、プロ初打席初安打初打点デビューを飾り、同29日のサンケイ戦から3番に抜擢されると、7月末までに打率.274、5本塁打を記録した。“強打のルーキー”の名を一躍高めたのが、8月2日の巨人戦だった。3対5とリードされた9回2死満塁で、3番・広野に打順が回ってきた。逃げ切りを図りたい巨人・川上哲治監督は、ここで開幕から7月23日まで13連勝を記録した“切り札”堀内を投入してきた。

 だが、堀内は2日前の広島戦で初黒星を喫しており、カーブで自滅したことを知っていた広野は「絶対ストレートで勝負してくる」と確信した。

 そして、カウント1‐1からの3球目、「カーブは絶対ない」の読みどおり、直球が真ん中高めに入ってくるところを思い切ってスイングすると、バックスクリーン右に突き刺さる新人史上初の逆転満塁サヨナラホームランになった。

「満塁もサヨナラホーマーも生まれて初めてです」と喜びをあらわにしたヒーローは、「負けたくない」相手からの会心の一発に「興奮して朝の6時くらいまで眠れなかった」という。

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