7カ月以上放置! 日本政府はなぜ中国の「不法ブイ」を撤去しないのか 「潜水艦運用に利用される」

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「主権を守る行動を取るべき」

 そして11月16日、岸田総理はAPEC首脳会議出席のために訪れた米サンフランシスコで日中首脳会談を行った。この時、総理は7月に海保が発見したブイについて、習近平国家主席に再度、即時撤去を求めたものの、事実上拒否されている。一方これに先立ち、外務省の担当者は「国連海洋法条約に違反していると考えているが、撤去や没収などがどこまで認められるかは海洋法条約上の規定がなく、慎重な検討が必要だと考えている」との見解を示していた。

 日本の立場からすれば、今回の事案は中国が国際法を無視してブイを設置したことが発端だ。中国の行為が明らかな国際法違反である以上、わが国は主権を守る行動を取るべきではないのか。規定などなくても、わが国の主権を脅かす無法な行為を正すための行動を“違法”ととがめる国など、中国と通じる一部の独裁国家を除けばほとんどあるまい。日本はわが国の主権が制限される形で、国連海洋法条約を狭義に解釈するべきではない。

 一方、中国のブイは当該海域における波の高さや潮流などを観測し、周辺を航行する中国海警局所属の船の運用に活用している可能性を危惧する声もある。だが、それは甘い見方に過ぎると思う。海洋観測はその海域の詳細な特性を把握するのが主たる目的であり、将来的に海軍艦艇、とくに潜水艦の運用に活用されることは間違いない。

 つまり、中国によるブイの設置は単発の案件ではなく「国家的海洋戦略」に基づく、継続的な戦略的行為と捉えなければ、中国の真意を見誤ることになる。

大陸国家から海洋国家へ

 ここで覇権主義国家の狙いを理解するために、中国の歴史を振り返りながら、彼らがいかに大陸国家から海洋国家に変貌してきたか、その経緯を検証したい。

 日中戦争を経て日本軍が中国大陸から撤退した後、国共合作により共同戦線を張っていた中国共産党と国民党は再び内戦状態に陥った。最終的には中国共産党が勝利し、蒋介石率いる国民党は台湾に逃れている。

 その結果、中央人民政府主席に就任した毛沢東が1949年10月1日に天安門で建国を宣言し、中華人民共和国が誕生した。もしこの時、毛が勢いに乗って台湾へ攻め込んでいたら、いまに至る台湾の領有問題は生じていなかったはずである。ところが、毛はそれをしなかった。というより、できなかった。当時の人民解放軍は陸軍が主体で海軍は極めて脆弱だった。彼らはわずか130~250キロの台湾海峡を渡る能力も持ち合わせていなかったのだ。

 毛の時代にとどまらず、実質的にその後継者となったトウ小平が指導者として君臨した時代の中国も純粋な大陸国家で、海洋への関心は限りなく乏しかった。むしろまったく海洋に目を向けていない時代だったといえる。毛もトウも、台湾問題は“いずれ解決できればいい”というくらいの感覚だった。

 それを裏付けるように、1972年2月にアメリカのニクソン大統領は電撃訪中した際、中国側に〈台湾に関する5原則〉を提示している。そこでアメリカが領土問題の平和的解決を求めると、周恩来首相は“一つの中国をアメリカが認めても、台湾問題をすぐに解決しようとは思っていない”という趣旨の発言をしたことが記録に残されている。

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