かまやつひろしはなぜ「ブルー・コメッツはずるい」と言ったのか メンバーの三原綱木が振り返るGSブーム、井上大輔、郷ひろみと紅白のバンマス

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並大抵の能力ではなかった美空ひばり

 あまり話題にならないが、この年のブルコメはもう1曲、レコ大にノミネートされていた。「美空ひばりとジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の歌手名でリリースされた「真赤な太陽」である。

 ひばりさんとブルコメのコラボ作品であり、ひばりさんがブルコメの演奏に合わせ、ミニスカート姿で歌った。こちらも140万枚も売れた。レコ大審査員は大賞選びに困っただろう。

 もっとも、当時のひばりさんは鷹揚にこう言ってのけたという。「私はまた機会があるから、今回はブルコメさんにあげたら」。いまだに「女王」と敬われるひばりさんらしい言葉である。

 三原氏もひばりさんの才能をあらためて讃える。

「ひばりさんは譜面が読めなかった。ところが、耳が良く、どんな曲も一発で完璧におぼえてしまった」

 おぼえるのは曲ばかりではなかった。ジャズの英詞やシャンソンの仏語詞も耳でおぼえてしまった。並大抵の能力ではなかった。

グループの宿命

 60年代後半のGSは飛ぶ鳥落とす勢いだったものの、弱点もあった。ステージを降りることが出来なかったのである。

「1人で歌う演歌や歌謡曲の人とは違い、複数だから、客席に歩み寄れなかった。例えば演歌の人がディナーショーをやったら、客席に行き、交流が出来る。GSではあり得ない。誰一人としてステージを降りられなかった。グループの宿命でしょう」

 三原氏は郷ひろみの専属バンドのバンドマスターになると、「ハリウッド・スキャンダル」(78年)や「マイ レディー」(79年)、「How many いい顔」(80年)などの演奏を指揮する。キレのいい演奏は好評だったが、バンマスになって真っ先に行ったのは前代未聞のことだった。

「暗いメンバーには退いてもらった。音楽は『音』を『楽しんでもらう』ものだから、演奏する人間が暗くてはダメというのが僕の持論なんです。暗い顔をして演奏していたら、お客さんが楽しめないでしょ」

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