かまやつひろしはなぜ「ブルー・コメッツはずるい」と言ったのか メンバーの三原綱木が振り返るGSブーム、井上大輔、郷ひろみと紅白のバンマス

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 1960年代後半、グループサウンズ(GS)の空前のブームがあった。頂点にいたとされるのは67年に「ブルー・シャトウ」で日本レコード大賞を獲得したジャッキー吉川とブルー・コメッツ。そのギタリストでボーカルだった三原綱木氏(78)がGSを振り返り、ブルコメ・サウンズを作り上げた亡き盟友・井上大輔さんを悼んだ。

GS黄金時代を生きた1人

 三原氏は「僕は音楽バカですよ。これしか出来ない」と笑った。

 ブルコメには64年に加入し、72年に脱退。その後、84年までは郷ひろみ(68)の専属バンドのバンドマスターを務めた。さらに86年にはビッグバンド「ニューブリード」のバンドマスターに就任し、「NHK紅白歌合戦」などの演奏や編曲を担当した。

 三原氏に限らず、GS出身者は脱退や解散後も芸能界で活躍している。ザ・タイガースは沢田研二(75)と岸部一徳(77)を輩出した。ザ・スパイダースからは堺正章(77)、井上順(76)、故・かまやつひろしさんが出た。ザ・テンプターズは故・萩原健一さんを生んだ。

 GSは女性たちの熱い声援を浴びたが、今のアイドルとはやや異なり、硬派色が強かった。

「だから『怖い』というイメージを持っていた人もいたよね。中でも怖がられていたのはジュリー、ショーケン、それとシャープホークスの安岡力也さん(笑)。だけど、GSの仲間たちは『三原さんが一番怖かった』と言うんですよ。『近づきがたかった』って(笑)。本当はジュリーたちも僕も怖くなんてないんだけどね」(三原氏、以下同)

 三原氏は見るからに親分肌である上、物事に動じないように見えるからだろう。

GSで唯一のレコ大受賞

 GSは男ばかりの世界だったが、意外なことに争い事はなかったという。仲間意識が強かったからであるようだ。

「ただし、音楽に関する議論はあった。うちの大ちゃん(井上忠夫 さん、81年に井上大輔に改名)とスパイダースのかまやつさんはよくディスカッションをしていましたね。2人とも音楽熱が高く、理論派だったから」

 60年代後半のGSブーム時には100以上のグループがあり、それぞれにカラーがあったが、ブルコメの特性は「全員、譜面に強い」ことだった。ミュージシャン集団だった。

 メンバーの井上大輔さんが作曲した「ブルー・シャトウ」が数々の曲の中からレコ大に輝いたことが、ブルコメの性格を象徴している。レコ大受賞はGSで唯一の快挙で、この曲は150万枚も売れた。

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