「K-POPアイドルになりたい」日本人男性が韓国で受けた苦難 “オーディションで無視”、“氷点下でのダンス練習”

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氷点下でのダンス練習

 韓国へ来てから早くも2ヶ月が経とうとしていた頃、知り合いの方から一通の連絡があった。その方は当時まだ数人しかいなかった日本人K-POPアイドルとして韓国で活動していたレナさんという方で、僕が日本で所属していたダンス&ボーカルグループのリーダーの友人だった。レナさんが僕をK-POPアイドルの道に近づけてくれたと言っても過言ではないほど僕にとっての恩人となっていくのだが、メッセージを確認してみるとダンスを教えてほしいとのことで、レナさんの会社でダンスを教えることになった。

 実を言うと、その頃ダンススタジオの借り方も分からなかった僕は、真冬の氷点下の中コシウォンの外で凍え死にそうになりながらダンスを練習してオーディションに臨んでいた。だから鏡の前でダンスをできるのが嬉しくて舞い上がった。

 会社は僕の家から電車で50分ほどの所にある駅で降りて、そこから歩いて15分ほど行った所にあった。ソウル市内ではあるけれど自然も感じられる街並みで、河川敷を散歩する人を横目に足早に向かった。

 到着しダンスを教えていると、会社の室長(マネジメント部のトップ)と名乗る背の高い男の人が現れた。僕が何者なのかをレナさんが室長に説明をしてくれていると、突然うちの会社のオーディションを受けないかと室長が言った。その頃オーディションに落ちまくっていた僕には蜜のような話だった。ぜひお願いしますと伝えると、ダンスを見せてみろと言われた。僕は聞き間違えたのかと思い、いつですかと聞くと今だと言う。まさかその場でオーディションを行うなど思ってもみなかったので驚いたが、他社のオーディション用に準備していた曲を一曲披露した。

 その後、レナさんと室長が何かを話し出したと思ったら、明日から来いと言い残して室長はスタジオを出て行った。よくよく聞くと合格だから明日から会社に来いとのことだったらしい。僕の意見はいずこへ…と思ったが日本人特有の断れない性格がそこで発揮されてしまう。断るつもりはなくても、悩む時間はほしかった。こうして僕は日本人練習生としてK-POPアイドルに少し近づくことができたのだった。

2人きりの練習生

 次の日、指定の時間に会社へ行くとレナさんが社内を案内してくれた。と言ってもデスクが2つある事務室とボーカル練習室、ダンス練習室、そして倉庫だけだったので2分もかからなかった。ダンス練習室に入る前にレナさんが、半年前から一人だけ練習生がいるのでその子とこれから練習をすればいいと言った。

 練習室に入ると、広い練習室の片隅に置いてあるピアノを弾く一人の男の子がいた。

 名前はミンスだという。僕より2つ年上だった。韓国は年齢を重要視する文化があり、歳上には名前の後に敬称を付けて呼ぶ。性別によってその敬称も変わるのだが、男が年上の男を呼ぶ時はヒョンをつける。要するにミンスヒョンと呼ぶ必要があるのだ。もちろん初対面の人にはシやニムといった日本語でいう「さん」にあたる敬称を付けるのが一般的ではあるが、ヒョンをつける方が相手との距離感が近い感覚があるので僕はミンスヒョンと呼ぶことにした。この日から僕とたった一人の練習生仲間であるミンスヒョンとの二人三脚練習生生活が始まった。

 試行錯誤しながら続く練習生生活だが、事務所への不満が募り「練習生契約」に縛られていると感じることもあった。そしてある日、突然、練習室が無くなってしまった……。

後編【「突然、事務所が閉鎖され着る服がない」 韓国でK-POP練習生になった日本人男性を襲った悲劇】へつづく

※高田健太の「高」は「はしごだか」が正式表記

デイリー新潮編集部

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