若者は脱落の「不適切にもほどがある!」 中高年ほどハマるのは“昭和ノスタルジー”というより“令和のなろう系”だから?
昭和脳おじさんという設定ながらモテる市郎 若者世代よりも秀でたある「力」とは
セクハラ・モラハラに対する意識が発展途上にある市郎の、物言いは確かに乱暴だ。だが、その率直さが評価され、令和ではキー局カウンセラーに大抜てきされている。本人にまるでその気がないのにモテモテになる様子は、まさに「なろう系」主人公っぽいなと思う。というか、エリートビジネスマンというくくりながらド級のセクハラ発言が散見される「島耕作」を見てきた筆者としては、むしろ市郎がマイルドに見えてくるくらいだ。
市郎のすごさはその自己開示力にある。馬鹿にされそうと尻込みすることなく、スマホの使い方がわからなければ若い女性に聞くことをいとわない。セクシー女優に興奮しながら娘の貞操には目を光らせるダブルスタンダードを、フェミニストの女性学者に指摘されても逆ギレしない。自分だけ分からないのはさみしい、娘に嫌われるのはさみしい。自分の弱さを素直にさらけだす人の話は、こちらも身構えずに耳を傾けることができる。
「話し合えばいい」「SNSは本気でやっちゃダメ」とドラマ内で歌われていたが、それだけ現実では自己開示ができない人の多さを物語っているともいえるのではないだろうか。本音を言って傷つきたくないと尻込みするのは、昭和世代に限らず若い世代に顕著な特徴でもある。
ドラマ内でも仲里依紗さん演じる犬島渚が、仕事にも育児にも後輩指導にもフル回転しても報われない虚しさに、ひとり涙をこぼすシーンがあった。周囲も悪意があったわけではないと分かるからこそ、自分が抱え込むしかない辛さ。それは第1話でメンタル不調を訴えた、磯村勇斗さん演じる秋津真彦の後輩女性にも重なる。「どうせ分かってもらえない」と自己完結してしまう若者たちの姿は、「何を言ったって老害だのハラスメントだのって言うんだろ」とふてくされる昭和世代の映し鏡ともいえる。
令和ではオフィシャルの場でのお行儀の良さが厳しく求められるようになった反動か、SNSを開けばマウンティングに論破合戦、バイトテロにかわいい私アピールの嵐。みんな自分がいかにすごいかを誇示する、今や空前の「俺の話を聞け」時代だ。
一方、ドラマの主な支持層は、語ることさえ臆病にならざるを得ない世代といえる。「老害」とか「お局」とか「おじさん構文」とか、口を開けば厄介者扱いという被害者意識を抱えている人も多いだろう。
異世界で一発逆転できないことなんて百も承知。ただせめて、さみしいって言っちゃダメですか? 辛いって言っちゃダメですか? 若者層は脱落、というドラマ批評記事にかみ付くコメントの多さを見るたび、自由に思いを語れる数少ない場所を奪わないでという、悲痛な本音がにじみ出ているように感じるのである。
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