ラジオ番組にハガキ、既読スルー問題…「不適切にもほどがある!」 メディア論でひもとく昭和と令和の「あるある」

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若い世代にも共感広げる「既読スルー」の問題

 第4話では、令和のテレビ局のカウンセラーとして働くことになった市郎が、スマートフォンを使うようになる場面がある。LINEを思わせるメッセージアプリを使って若手社員たちと連絡先を交換したものの、送ったメッセージが既読にならなかったり、既読スルーされたり……そんな相手に対し「なぜ返事をしない?」と、市郎は次々に怒りのメッセージを送り、嫌われてしまう。ハラスメント行為の数々に、既読スルーした若手社員たちは市郎による「被害者の会」を結成する。

「重度のスマホ依存症」とまで言われるほどになった市郎。そんな彼に、市郎が恋心を寄せる犬島渚(仲里依紗)ら女性たちがミュージカルの歌で諭していく。

「落ち着いて小川さん 始めたばかりで酷だけど SNSは本気で打ち込むものじゃない~」

 若い世代から「そもそも既読とは、すでに読みましたというメッセージでそれ自体が返信なんです」と教えられる。

「既読 それは生存確認 返事がないのは 良い知らせ
既読 それは元気な証拠
孤独を感じるなんてバカげてる
落ちついて 小川さん
みんな薄々気づいている
SNSは本気で向き合う場所じゃない
いちいち真に受けたら 疲れちゃう
それがソーシャル ネットワーキング サービス~」

 ここにはSNSというメディアとどう向き合えばいいのかのヒントがある。

 ドラマの市郎に限らず、異なる世代の人間とはコミュニケーションの常識が違うことは少なくない。生まれた時からインターネットが発達しているデジタル・ネイティブ世代と比べ、昭和の時代を知る人間にはマナーがわからず、市郎のように極端に気になってしまうのはままあることだろう。何が正解なのかわからない時代だといえる。

 かくいう筆者もギャップを感じているひとりだ。たとえばLINEを「。」で締めくくるおじさん世代に対し、若い世代が威圧感を覚えるという「マルハラ」の問題が情報番組で頻繁に報道されていた。 文章の最後は「。」で終わることを教え込まれた世代は、なぜそれがハラスメントになるのか、正直よくわからない。新しいメディアにどう臨むべきか。それぞれの世代なりに悩んでいることがこのドラマから伝わってくる。

 こうした世代を超えた「メディア論」が毎話のように展開されているが、ドラマを見ることでメディアに対する共通理解が進み少し自信をもてる気がしてくるのは救いだ。市郎や純子の“今後”が示唆されストーリーから目が離せない展開だが、ぜひ「メディア論」の観点から、時代を超えても変わらぬものについても考えていきたい。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部

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