ラジオ番組にハガキ、既読スルー問題…「不適切にもほどがある!」 メディア論でひもとく昭和と令和の「あるある」

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 TBSドラマ「不適切にもほどがある!」が評判だ。バブル絶頂期の1986年(昭和61年)に生きる中学の体育教師・小川市郎(50歳)が、2024年(令和6年)へタイムスリップする物語。バスの車内でタバコを平気で吸い、生徒をシゴき、女性を面と向かって「おばさん」と呼ぶなど、市郎は今なら「パワハラ」「セクハラ」でアウトになる言動をくり返す。そんな彼が昭和の常識を訴え、令和の常識とぶつかっていく。名手・宮藤官九郎の脚本が、世代を超えて「身につまされる」と評判になっている。

 ドラマを注意深く鑑賞すると、昭和と令和のテレビの制作現場が頻繁に登場するなど「メディアのあり方」がサブテーマになっていることがわかる。その特徴や違い、変化の歴史などを研究する分野を「メディア論」と呼ぶが、この観点からドラマを探ってみると、世代間のギャップと同時に時代を超えて共有できる「あるある」が浮き彫りになる。だからこそ本作に共感する人たちの輪が広がっているのだろう。【水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授】

“令和”と“昭和”のメディアの近さ? SNSとラジオの意外な共通点!(第5話)

 作中で昭和と令和の両時代を比較できる立場にあるのは、阿部サダヲ演じる市郎、そして令和からタイムスリップして来て昭和のジェンダー意識や文化を研究中の向坂サカエ(吉田羊)、その息子で中学生のキヨシ(坂元愛登)の3人だ。キヨシは「おっぱいを地上波のテレビで見ることができる」昭和が気に入っている。彼らが「メディア」の過去と現在について口にする言葉は立派な“メディア論”といえるものがある。

 たとえば、2月23日放送の第5話。市郎が昭和に行っている間、サカエとキヨシの親子は彼の自宅に居候することになる。キヨシには中学で不登校の経験があった。昭和では不登校と呼ばず「登校拒否」と呼んでおり、キヨシが通うことになった中学の同級生にもそんな生徒がいるが、教師は「登校拒否は家庭の問題です」とさじを投げる。

 そんな教師にサカエが食ってかかる。

「いいえ! 不登校は社会全体で取り組むべき問題です」

 サカエは「子どもが学校に来ない理由は一つじゃない!(中略)必ずしも登校を拒否しているわけではないから、登校拒否という言葉を使うべきではないという考えの下、平成元年(1989年)に法務省が不登校児に関する調査報告書を出します」と伝え、登校拒否という言葉が時代遅れだと教師に伝える。

 キヨシも「寂しいだろうな。SNSもサブスクもフリースクールもないし…。こういう時にSNSがあればなあ…」とつぶやく。学校を休んでいる間、友だちとインスタでつながっていたことのあるキヨシは、昭和の時代でも不登校の生徒に連絡を取る方法はないか考えていた。そしてラジオ番組にメッセージを送ることを思いつく。部屋でハガキを書いているところを、共に暮らす市郎の娘で不良女子高生の純子(河合優実)に見つかってしまう。

(キヨシ)「~~君、聞いていないかなと思って…」
(純子)「ラジオ?」
(キヨシ)「電話かけても出ないのだろうし、いきなり訪ねて行ったら、プレッシャーかけるし、ラジオを通してメッセージを送れば…」
(純子)「いやいや…これ、ものすごく効率悪いぞ…」
(キヨシ)「わかっているよ。インスタとかXとかみたいに向こうの負担にならない連絡の取り方って思いつかなくて…」

 ラジオ番組にハガキのメッセージを送って読んでもらうという試みとSNSとの思わぬ共通点。どちらも「相手の負担にならない」という、若者たちが共有する価値観を活かせるメディアなのかもしれない。

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