新庄監督と立浪監督は続けるか? “2年連続”の低迷からチームを復活させた「監督列伝」

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常勝軍団の礎を築いた「世界の王」

 2年連続最下位ではなかったが、ダイエー時代の王貞治監督も、1年目5位、2年目6位から3年目に順位を挙げ、黄金時代の礎を築いている。

 巨人退団後、6年のブランクを経て、再びユニホームを着た王監督は、フロント入りした根本陸夫前監督のバックアップを得て、常勝軍団づくりのスタートを切った。

 工藤公康、石毛宏典を西武からFA補強、メジャー通算220本塁打のミッチェルを獲得した1年目の95年は、“新戦力効果”で4月18日から25日まで首位を守る。だが、ミッチェルが2度にわたる無断帰国の末に退団、主力に故障者が相次ぐなど、負の連鎖が続くなか、チームもズルズル後退。7月下旬に5位に転落すると、そのままシーズンを終えた。

 翌96年もオールスター後に19勝30敗1分と大きく負け越して最下位転落。5月9日の近鉄戦では、敗戦に怒ったファンが、王監督や選手たちに生卵をぶつける事件も起きた。南海時代も含めて19年連続Bクラスは、NPBワースト記録だった。

「あとは一気にアクセルを踏み込むだけだ」

 2年連続して苦しい体験を重ね、巨人時代は「130試合をすべて勝ちたい」と思っていた王監督も「年に50敗はできるんだ」と柔軟に考えられるようになった(自著『野球にときめいて 王貞治、半生を語る』中央公論社)。選手たちも「勝つためには何をすべきか」と意識が変わっていく。

 3年目の97年は、小久保裕紀、吉永幸一郎に、城島健司も加わった重量打線が火を噴き、7月終了時まで3位をキープ。8月以降失速し、日本ハムと同率4位に終わったが、とりあえず順位を上げた。中内功オーナーも「王さんで勝たないと意味がない」と続投を後押しし、翌98年に21年ぶりのAクラス入り(オリックスと同率3位)を実現する。

 そして99年、「ギアーはローからセカンド、サードまで入った。あとは一気にアクセルを踏み込むだけだ」という王監督の号令一下、チーム打率、防御率ともリーグ4位ながら、捨て試合をうまくつくる柔軟な戦いぶりで、就任5年目で悲願の日本一を達成した。

 新庄監督と立浪監督は、これらの監督に続けるだろうか。今年の戦いに注目したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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