横浜流星と今田美桜で勝負に出る…NHKが来年の大河と朝ドラを絶対外すわけにはいかない事情
名作誕生につながった「逆転しない正義」
モデルとする人物がいい。やなせさんは身近に感じられる偉人だ。清廉な人柄だったため、広く尊敬された。「らんまん」(2023年上期)の主人公・槙野万太郎(神木隆之介・30)のモデルである牧野富太郎博士も偉人だったが、女性問題など道徳的とは言えない部分があった。ドラマと史実は別とはいえ、主人公が美化されると、観る側は興ざめする。
やなせさんが絵本として「アンパンマン」を生んだのは1973年だった。日本テレビでのアニメ化は1988年。この名作が生まれる際の理論的支柱となったのも小松さんだった。
中園氏によると、小松さんはやなせさんに「正義は逆転してしまうことがある」と説いた。確かに戦争でも勝ったほうが正義になってしまいがちだ。
そこで小松さんは逆転しない正義をこう話した。「飢えて死にそうな人がいれば、一切れのパンをあげること」。高知新聞の女性記者第1号だった小松さんは聡明な人だったのだろう。こうして空腹を訴える人には自分の頭をちぎって分け与える犠牲心のヒーロー・アンパンマンが生まれた。
社会貢献にも熱心だったやなせさん
また、やなせさんは戦時中、中国に出征したが、信念に従って一度も銃を撃たなかった。この考え方も「アンパンマン」に貫かれている。アンパンマンはバイキンマンがいくら悪さをしようが息の根を止めない。だからバイキンマンは何度でもアンパンマンに向かってくる。2つの画期的な点がアンパンマンを息の長い作品にした。
後年のやなせさんはチャリティと後進の育成など社会貢献にも熱心だった。東日本大震災の直後、自らが作詞した「アンパンマンのテーマ」が復興のテーマソング扱いを受けていることを知ると、イラストを描いた絵はがきを配り、復興支援の寄付を募った。ほかにも「陸前高田の松の木」の曲を作詞・作曲したり、慈善コンサートを開いたり。既に90歳を過ぎていた。
また、毎年高知で開かれる「まんが甲子園(全国高等学校漫画選手権大会)」では、1992年の第1回大会から第20回まで審査委員長を務めた。それにとどまらず、運営費を私財から寄附していた。
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