日本人投手を小ばかにした「巨人史上最強の助っ人」に仕返し成功! 大洋エース「遠藤一彦」が見せた1985年の“痛快ピッチング”

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6年連続二桁勝利を記録

 1984年から90年まで巨人でプレーしたウォーレン・クロマティは、快打を放つたびに、自らの頭をツンツン指差しながら、「ここの出来が違うぜ!」とアピールする、鼻持ちならないパフォーマンスを連発していた。当然打たれた投手は、小ばかにされたようで面白くない。そんな日本の投手たちの気持ちを代弁するかのように、痛快な意趣返しで、クロマティから見事一本取ったのが、大洋のエース・遠藤一彦である。【久保田龍雄/ライター】

 1978年にドラフト3位で大洋入りした遠藤は、2年目に最大の武器・フォークを覚え、12勝8セーブを挙げると、83、84年に2年連続でリーグ最多勝に輝くなど、押しも押されもせぬ絶対エースになった。

 1980年代半ばの大洋は投手陣の層が薄く、遠藤とリリーフの斉藤明夫の2人でフル回転している感が強かった。

 遠藤自身も「今みたいに中6日なんて感覚はなかったですね。基本的には中4日で、早い回にノックアウトされてたら、中3日ということもありましたし。中4日、中3日というのが当たり前でしたし、それでできてましたから。その当時は、それが当たり前でしたから、苦とも思わなかったですね」(斉藤直隆著『プロ野球最後のサムライ』コアマガジン)と回想している。

 そんな遠藤が6年連続二桁勝利を記録し、野球選手として最も脂の乗りきった時期に、巨人の3番打者として活躍していたのが、クロマティだった。来日1年目の84年から3年連続30本塁打以上を記録し(通算178本塁打)、89年には打率.378で首位打者を獲得したクロマティは、今も“巨人史上最強の助っ人”として記憶されている。

「彼がやるなら、いつかこっちもやってやれ」

 その一方で、茶目っ気たっぷりのクロマティは、試合中に風船ガムをぷっと膨らませて破裂させたり、自ら打点を挙げて守備に就く際に、スタンドの巨人ファンとともに万歳三唱する派手なパフォーマンスの数々でも話題をさらった。

 冒頭でも紹介した“頭ツンツン”の挑発パフォーマンスもそのひとつだが、打たれたバッテリーはもとより、アンチ巨人ファンも怒りを覚えたのは言うまでもない。

 当時筆者も、ホームランを打った直後、「デヘヘヘヘ!」の高笑いとともに自らの頭をツンツン指差しながら、これ見よがしにベースを回るクロマティに、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈が“天誅”とも言うべきハードパンチを浴びせ、KOする野球漫画を読んだ記憶がある。あのパフォーマンスをやられた投手たちの中にも、この漫画を見て、内心快哉を叫んだ者がいたかもしれない。

 遠藤自身はクロマティを苦手とはしていなかったが、「日本人のピッチャーが打たれてあのポーズをやられるのを見ていると、『いつか彼に仕返してやりたい』といういたずら心を秘かに持っていた。クロマティにはそれほど悪意があるわけでもないだろうが、大観衆の前で『頭の差だよ』とやられるのは、彼がアメリカ人で、いくら元大リーガーだといっても、少々面白くない。彼がやるなら、いつかこっちもやってやれ、というわけだ」(自著「江川小次郎、俺が武蔵だ! KKロングセラーズ)と一本取る機会を狙っていた。

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