ラッシャー木村「こんばんは事件」から始まった猪木vsはぐれ国際軍団 最高視聴率26%を記録した名勝負の舞台裏
高視聴率のとれる試合
翌1983年2月7日、再戦が同じ蔵前国技館で組まれた。そう、最高視聴率となる一戦だ。最初の発表では猪木vs木村の一騎打ちだったが、1月6日の後楽園ホール大会において、新日本フロントの新間寿本部長が、リング上からマイクで1vs3の再戦に変更したことを正式発表した。この裏では、テレビ局側の要望もあったことを、当時のレフェリーや営業部長が証言している。
この時期、既に長州力、マサ斎藤の「革命軍」(後の維新軍)が幅を利かせていたが、国際軍は1月20日、テレビ中継のある試合で、猪木を控え室に拉致するなどのとんでもない行動に出た。こうした因縁も高まり、試合当日は1万2000人(札止め)の観客を動員したばかりか、会場に入れずに帰ったファンが1000人を軽く超え、興行収益は当時の金額で、約5200万円を記録した。
試合は新味に溢れた展開に。先ず、一番の難敵である木村を、猪木が隠し技のフライング・ラリアットで3カウント。次に寺西を裸締めで半失神させてから、それでも改めて完璧なコブラツイストで仕留めると、猪木の余裕をみてとったか、場内の興奮は最高潮に。ただ、最後の浜口を場外フェンスの外に出してしまい、結果は猪木の反則負けに。3戦目をおこなう話もあったが、この2ヵ月後には、浜口が長州率いる維新軍に参加することで国際軍団が弱体化。後に寺西も維新軍入りし、木村は翌年、新興団体UWFに参じることとなった。
1998年7月、会場へと向かう車で、アニマル浜口と同乗したことがあった。その際、「こんばんは事件」について聞いた。浜口は苦笑いしながら語った。
「あれねえ、木村さんはいい人だから、『よその団体に上がるんだから、先ずは挨拶しなきゃと思って』と言ってたけど、隣の僕は頭の中が真っ白になって(笑)。この雰囲気を、なんとかしなきゃと思って」
事実、木村からマイクを受け継いだ浜口は、「我々が勝ちますよ!」「待っとけよ!」とこちらは熱いアジテーションを見せている。浜口は、新日本プロレス参戦にあたり行われた共同会見で、こう啖呵を切ったこともあった。「ウチはエースの木村さんも、(国際プロレス)社長の吉原(功)さんも出席してるのに、そちらに猪木がいないのはどういうことだ! 失礼じゃないか!」「……確かに失礼だった。私から深くお詫びする」そう答えたのは、新日本プロレスの新間寿本部長。直後の囲み会見で、こう語った。「浜口選手は良いねぇ! 敵ながらグッと来たよ!」。客の「帰れ」コールを、木村は黙殺しても、こう言い返したのも浜口だった。
「お前らこそ、帰れ!!」
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