「沖縄戦」で“部下の9割を失った”指揮官は遺族に贖罪の手紙を送り続けた… 戦没者の妻、父母からの356通の返信が伝えるメッセージ

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「あなたのお母様が70年前に書かれた手紙を返還したいのですが」――。ある日突然、見ず知らずの人からそう連絡を受けて、すんなり受け入れる人はほとんどいないだろう。相手の意図は何か。もしかしたら詐欺なのではないか。世知辛いご時世、疑うほうが自然だ。だが、世の中には何の得にもならないことを、いわば使命感だけでやっている人もいる。青森県在住の浜田哲二・律子夫妻がそうだ。2人は元新聞記者。取材がきっかけで沖縄戦の遺骨収集をボランティアで20年以上続けている。

 夫妻は活動の中で、沖縄戦を戦い抜き、米軍から陣地奪還を果たした、青年将校・伊東孝一から手紙の束を託される。砲弾や銃弾などの“鉄の雨”が降り注ぎ、米軍の戦史にも「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる戦いで部下の9割を失った伊東は、終戦直後からその遺族に宛てて贖罪の手紙を送り続けた。浜田夫妻が託された手紙は、遺族からの返信だった。その数、356通。数奇な縁によって遺族の子孫にタイムカプセルのような手紙を届けることになった夫婦が、その発端から最初に手紙を返還するまでのドラマを明かす。事実は小説よりも奇なり――その言葉を地で行く実話をお届けする。

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 薄暗い沖縄のジャングルで、腹ばいになって横穴の中に手を伸ばしたり、地面を掘り返したりしていると、不思議な感覚に襲われることがある。ここは本当に令和の日本か――。頭上からはガジュマルのひげ根が縄のれんのようにぶらさがり、地表には背丈ほどもあるクワズイモが生い茂る。ハート型の葉が風で揺れる度に、何かが飛び出して来そうだ。鳥が鳴き交わす声や、地面に降り積もった木の葉の上を「何か」が歩いている音がやけに大きく聞こえる。米軍の戦闘機が爆音を轟かせて頭上を飛び去る時以外、あたりに人間の気配はない。

 私たちが活動する場所に、地元の人はあまり足を踏み入れようとしない。

「森の中からたくさんの目がこちらを睨んでいるのよ。怖いからね、私たちは近づかない」

 たしかに、ふと森の向こうからこちらをじっと見つめる「何か」の存在を感じる時はある。ここは70年以上前に激烈な戦いが繰り広げられた戦場。日米合わせて20万人以上が戦没し、その遺骨がまだ放置されたままの場所が残っている。

 私たちはフリーのジャーナリスト夫婦で、夫・哲二が元朝日新聞のカメラマン、妻・律子は元読売新聞の記者だ。沖縄には20世紀末から通い始め、本島の中南部で戦没者の遺骨や遺留品を収集し、身元を特定して遺族に返還する活動を続けている。勤めていた新聞社での取材がきっかけだったが、2010年に哲二が会社を早期退職した後は、毎年2カ月間ほど現地に滞在し、ボランティアで取り組むようになった。

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