文学に関心ナシ、朝寝坊の悪癖、異国の夫に手紙も出さず…文豪・夏目漱石が“悪妻”・鏡子と添い遂げた深すぎる理由

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「夫は世界一の男」

 このような悪評がある一方で、漱石の創作を陰で支えていたのは、他ならぬ鏡子夫人だったという説もある。漱石研究の著作が多い作家の長尾剛氏は、夏目夫婦はむしろ非常に仲が良かった、と主張する。

「漱石の教養に鏡子がついていけなかったという面はありましたが、人格の高潔さという点では2人はすごく似ていたのです」

 漱石にしてみれば、鏡子の遠慮なくずけずけ言う性格を、むしろ“正直という美徳”として評価していた。そもそも漱石が結婚を決意したのも、見合いの席で鏡子が、歯並びが悪くてきたないのに、それを強いて隠そうとしないところが気に入ったからだという。漱石が惹かれたのは、鏡子の正直な人柄だった。家事が上手いとかの現実的な要素でなく、もっと根源的な人間的な清らかさが漱石には大事だったというのである。

 漱石門下は「木曜会」と称して、毎週木曜日に夏目邸に集まり、漱石を囲んで話しをするのが習慣だった。鏡子は不器用ながら面倒見のいい性質で、漱石を慕って集まる弟子たちを我が子のように可愛がっていたという。その献身ぶりも、漱石にとっては有り難かったはずだった。

鏡子だからこそ可能だった漱石との対峙

 さらに漱石自身の抱えていた病、神経衰弱の問題がある。とくに英国留学から帰国した数年がひどく、漱石は誰かに監視されているという妄想を抱き、たびたび激しいかんしゃくの発作を起すため、周囲のものたちが漱石を恐れて近づかない時期があった。

 この時期、妊娠して悪阻のひどかった鏡子は、一時実家に身を寄せている。周囲の人たちからは漱石との離婚を暗に勧められたが、鏡子は断固としてこれを受け入れなかった。

「私が不貞をしたとか何とかいうのではなく、いわば私に落度はないのです。なるほど私一人が実家へ帰ったら、私一人はそれで安全かもしれません。しかし子供や主人はどうなるのです。病気ときまれば、そばにおって及ばずながら看護するのが妻の役目ではありませんか」(「漱石の思い出」夏目鏡子述より)

 ある意味で、常人を超えた複雑で深遠な精神を持った漱石との対峙は、ものごとにあまり動じない、男勝りの性格だったという鏡子だからこそ可能だったのかもしれない。

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