「小銃を抱えた武装集団を見た時は特別な演出かと」「トイレは屈辱的だった」…モスクワ劇場テロ占拠事件 生存者が語った恐怖の58時間
徹底した秘密主義
数だけではない。事態の推移についても、情報は錯綜していた。人質たちは家族に、新聞に、救急センターに携帯電話を数多く掛けていたし、劇場には交渉役やテレビのクルーが入ってその時々の内部の様子を断片的に伝えた。
これが混乱に拍車をかけたわけだが、一番根本的な問題は、ロシア当局の発表がまったく信頼に足るものではないということだった。公式見解は次々否定されていった。そして恐るべきことに現在の死亡者、入退院者などの合計は、その日劇場にいた人数を大きく下回っているのだ。いったい何人がそこにいて、誰が死亡し、誰が生き残ったのか、いまだ全容が明らかでない。一緒に行った兄弟や配偶者の行方がわからないまま、という人が何人も出できたのである。
徹底した秘密主義がまだロシアでは生きている。あるテレビ局は放送免許を停止させられた。突入時にロシアの主要なテレビは、映画を流していた。新聞も自主規制を求められていた。そして事件後、最後まで劇場にいた一部の人質は、入院中の「取調べ」の際、メディアのインタビューを受けないよう要請されてもいたのである。
いったい劇場では何があったのか。こうした中で今回、ガスを吸いながら無事生還した女性に直接話を聞くことができた。冒頭のダーリヤさん、20歳。彼女の58時間の一部始終をお届けする。
襲撃は演出だと思った
「その日は、ボーイフレンドのゼーニヤとともに劇場へ行きました。とても寒くロシアの典型的な冬の日でした。『ノルド・オスト』を観るのは、前から楽しみにしていました。チケットは600ルーブル(約20ドル)もした。わたしはまだ学生ですので、その値段はとても高い。でもゼーニヤといけるので、とてもウキウキしていました」
と、ダーリヤは語りはじめた。『ノルド・オスト(北東の意)』は、ロシアで初めての本格的ミュージカルである。昨年10月の初演以来、事件までほぼ毎日満席で、すでに35万人が見たという。
プロデューサーのゲオルギー・ワシリエフはこのミュージカルを「恋と友情と裏切りと勇気の冒険譚」と語っている。南極海へ冒険に出掛けて行方不明になった父親を持つカーチャと、その真相を探ろうとする飛行士サーシャがさまざまな謀略や試練を乗り越え結ばれる「ハッピーエンド」の物語である。
武装グループが突然襲撃してきたのは、その第2幕がはじまった直後だった。
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