「小銃を抱えた武装集団を見た時は特別な演出かと」「トイレは屈辱的だった」…モスクワ劇場テロ占拠事件 生存者が語った恐怖の58時間

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 観客がいる劇場をテロリストが占拠――。2002年10月23日夜、ロシアの首都モスクワでチェチェン共和国の独立派が起こした占拠事件は、人質100人以上が死亡という悲惨な結末に至った。ただし、人質たちに被害を与えたのはロシア特殊部隊が使った“特殊ガス”である。ロシア政府の秘密主義によって情報が錯綜し、外からは状況の推移が不明瞭なまま過ぎていった58時間。劇場内では何が起こっていたのか。生存者の証言で綴った衝撃ルポ(前編)をお届けする。

(前後編記事の前編・「新潮45」2002年12月号掲載「モスクワ劇場占拠 人質女子大生『戦慄の告白』」をもとに再構成しました。文中の年齢、年代表記、事件に関する情報・詳細等は執筆当時のものです)

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矛盾する情報にメディアは右往左往

「ガスの匂いを嗅いだとき、これで本格的な銃撃戦が始まるのだと思いました。死ぬかもしれないと覚悟は決めましたが、生きていたいと思いました。自分の運命がどうなるかまったく予想できませんでしたが、いよいよ最終段階に突入したことだけは間違いありませんでした」

 10月26日、午前6時30分(現地時間)。ロシアの特殊部隊「アルファ」が劇場に突入し、58時間に及んだモスクワ劇場占拠事件は終わった。みぞれ混じりの雪降る寒い朝だった。人質たちは次々抱えられるようにして運び出されたが、その中にモスクワ市在住の女子大生ダーリヤ・ココーシコさんの姿もあった。もっとも一緒に来ていたボーイフレンドはこのとき意識を失っており、心ならずもダーリヤさんとは別々に救出されることになる。

 ダーリヤさんのようにはっきり意識がある人はさほど多くなかった。半数近くは意識を失っているか、あるいはもう目覚めないかもしれない状態にあった。翌27日のモスクワ市医療当局主任医師の発表では、人質の死亡117名、うちガス中毒死116名、銃撃死1名。そして入院中の人質がなんと646名。全体でも人質は約800名と報じられていたから、そのほとんどは病院へ向かったわけである。

 この数字は最終的なものではない。今回の事件では、それを報じる新聞、テレビの内容が目まぐるしく変った。死亡者や武装グループの数、人質の数、入院患者の数などが日々増減し、矛盾する情報にメディアは右往左往した。

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