マラソン・川内優輝を育んだ、母の「訳の分からない練習方法」とは(小林信也)
“楽な練習”で記録向上
川内の転機は大学進学時にあった。都大路を目指した高校時代、ケガで高3の時はほとんど走れなかった。そのため箱根駅伝を目指せるような強豪大学から声がかからなかった。指定校推薦で学習院大に進み、そこで猛練習とは正反対の練習に出会った。
「がんばるな、競うことはない」と言う津田誠一監督の言葉に川内は戸惑った。
「練習は学生主体。長距離チーフを中心にメニューを組み立てていました。週2日は休み。追い込む練習は週2回だけ。こんな楽な練習で強くなれるのか?」
半信半疑だったが、半年後、意外なことが起こった。
「夏を過ぎたら一気に記録が伸びたんです。3000メートルのベストは15分07秒だったのが、14分38秒まで伸びた。大学2年で関東インカレに行けました。ケガもしなくなりました……」
「強めの練習は週2回で伸びる」という確信。だから働きながら走る市民ランナーの道を選べたし、練習の一環として週末のレースを走るスタイルが生まれた。
それにしても、驚異の粘りと負けん気はいつどんな練習で培われたのか?
「走り始めたのは小学校1年のころ。母が中学、高校で陸上をやっていた影響で、『エスビーちびっこ健康マラソン大会』に出たんです。最初は5番。それから毎日練習して翌年は2番でした」
母との練習の日々が川内の底流にある。
「毎日が全力疾走。ペース配分はありません。毎日タイムトライアルという訳の分からない練習。それを6年間。ただただきつかった」
知れば知るほど川内はタダ者ではなかった。