プロ野球選手を辞めた後、33歳でラジオ局入りした元ベイスターズ投手(54)のいま「部下の方が優秀。異業種に飛び込むなら必要なことは…」

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『会社四季報』を片手に、新規顧客を開拓する

 入社後、すぐに営業に配属となった。企業にスポンサーとなってもらうために、ラジオCMの提案をする日々が始まった。

「まずは前任者の担当を引き継ぐところから始めました。10月くらいになって外勤として各企業さんを回って、先輩たちがプレゼンしている現場を見たり、サポートを受けながら自分でプレゼンしたりもしました。この間、ひたすら企画書作りの練習もしました。そのうち、“新規のアポを取ってみろ”ということになって、『会社四季報』を見ながら、良さそうな企業を選んでアポを取る、そんなことをしていました」

 それまで『会社四季報』など、手に取ったこともなかった。その企業がどんな商品やサービスを扱っているのか? 株価を参照しながら、業績はどうなのか? どんなことをPRしたいと思っているのか、逆にどんなPRが必要なのか? 少しずつ、いろいろと思案する習慣が身についていく。

「その会社が、ラジオで何のために宣伝をするのか? まずは、そのロジックを立てないといけない。新商品を売りたいのか、企業のブランディングをしたいのか、あるいは人材募集のリクルーティングなのか? 何をしたいのか、何に困っているのか? 広告代理店の方に取材をしつつ、ならばどの番組がいいのか? そんなことを考えながらCM提案を行っていました」

 17年まで、TBSラジオでは「エキサイトベースボール」と称してプロ野球中継が行われていた。野球中継のセールスは、小檜山にとっての真骨頂だった。

「野球中継のセールスに関しては得意でした(笑)。企画書を書かなくても、来シーズンの魅力や見どころは、すらすら説明することができましたから。僕のことを覚えてくれている人もいたので、その点はすごく有利でした。その後、TBSラジオは野球中継から撤退しました。ラジオでは巨人戦など、他局と同じ試合を中継することがあります。でも、リスナーにとっては決して有益なことではないわけですから、いい判断だったと僕は思いますね」

 小檜山自身が、「プロ野球選手であったプライドはない」と述べたことは前述した。この間、「ベイスターズの小桧山さんですよね?」と尋ねられることは何度もあった。10歳以上も年の離れた同僚に対して、「自分がいちばんバカだ」とも口にした。「プロ野球選手としての自分」と「ラジオ局員としての自分」は、はたして同一人物なのか? それとも、完全に切り離された別人格なのか? 小檜山に問うと、その表情が引き締まった。

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