【光る君へ】同じ創作でも『どうする家康』との決定的な違いとは
史実に即した創作
翻って、昨年の「どうする家康」はどうだっただろうか。
最大の問題は、徳川家康(松本潤)の正室、築山殿(ドラマでは瀬名、有村架純)の描き方だった。彼女と家康はある時期からまったく同居していないことなどから、不仲であったのはまちがいないとされているが、ドラマでは築山殿の死まで夫婦は仲睦まじかったとして描かれた。
さらには、史実では敵の武田と通じていたのがほぼ確実な築山殿に、隣国同士で足りないものを補填し合い、武力ではなく慈愛の心で結びつけば戦争は起きない、という話を語らせ、それが家康や家臣に大きな影響をあたえたように描かれた。
百歩譲って、築山殿と家康の関係性が、じつは悪くなかったとして描くだけならいい。しかし、家康が壮年期を送ったのは、領国の境界が常に敵の脅威にさらされ、戦わなければ敵の侵攻を許してしまう時代だった。戦って平和を維持する姿勢を示さなければ、国衆をはじめ領主たちはすぐに離反してしまうのが、戦国の世の現実だった。築山殿のような発想が生まれる余地はなく、よしんば生まれても、それに大名や家臣が賛同することなど、ありえなかった。
家康は築山殿に「私たちはなぜ戦をするのでありましょう?」と聞かれ「考えたこともない」と答えたが、この時代、いっぱしの大名が戦をする意味を考えたことがなければ、たちまち滅ぼされただろう。
昨年、「どうする家康」が「史実を尊重していない」と書いて、「ドラマはフィクションなのに、それを史実との整合性で評価するのはまちがいだ」というお叱りをいただいた。しかし、私がいいたかったのは、エピソードが史実と異なるかどうかではない。時代状況を無視し、同時の常識とは正反対の考え方を描けば、その時代に対する誤解を生む、ということだった。その点で、「光る君へ」はいまのところ、おおむね「史実に即した創作」だと考えるのである。
[3/3ページ]