【光る君へ】同じ創作でも『どうする家康』との決定的な違いとは

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創作を通じて時代の様相が伝えられている

 たとえば、紫式部の同時代の女性に和泉式部がいる。彼女は歌集の『和泉式部集』に記されただけでも、10人を超える男性と深い関係にあったようだ。そんな和泉式部のことを紫式部は、『紫式部日記』に軽薄であるかのように書いているが、当時の感覚としては、むしろ紫式部が潔癖症気味なのだと思われる。「色好み」は当時の常識からすると、女性にとっても普通のことで、諸歌集にもそういう女性は数多く登場する。

 山口博氏 は「現代の道徳観から理解するのは非常に困難だが、節度をわきまえた『色好み』は人格的欠陥ではなく、当時の貴族の身に備えるべき条件であったのだ。ただ、過剰であったり身分階級を超えたりした色好みは、風儀に外れるとして冷たく見られていたらしい」と記す(『悩める平安貴族たち』PHP新書)。

 ちなみに、『紫式部日記』によると、現在、「光る君へ」で描かれているより、もう少し年を重ねてからのことだが、彼女は男性から「戸をたたいても開けてくれない」という歌を贈られ、「戸を開けたら後悔していたでしょう」と冷たく返している。そして、この贈答歌を詠んだ男性は『新勅撰和歌集』によれば道長だとされる。

 既婚なのに「色好み」がすぎる道長を毅然として拒否した紫式部――。現代の感覚ではそう判断してしまうところだが、当時の一般に照らすと、紫式部が潔癖、あるいは奥手だったのだと受けとれる。また、道長もあくまでも歌で節度を表現している。このあたりのニュアンスが、「光る君へ」ではうまく表現されているのである。

 紫式部の少女時代のことはわからない。だから、ドラマで描く場合は創作するしかなく、それを「史実と異なる」と非難するのはナンセンスだ。重要なのは、創作をとおして時代状況や当時の空気が描けているかどうかだろう。その点、「光る君へ」には及第点をあたえられる。

 いま述べたように、平安王朝の「色好み」の状況が描かれ、そのなかで、まひろこと紫式部は奥手であった様子も伝えられる。しかも、男性貴族たちは色を好みながらも、それ以前に出世競争に腐心し、家を栄えさせることに必死である。そのことは、先に引用した藤原公任の「オレたちにとって大事なのは、恋とか愛とかじゃないんだ」以下の言葉に、端的に表現されている。

 現状、視聴率こそふるわないが、わからないことだらけの主人公を通じて時代を描き、時代を超えて感情移入できる自然な心模様が描けているのは、評価されるべきことではないだろうか。

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