「脳梗塞で半年入院」「要介護5」でも自宅で暮らす“ムード歌謡の帝王”「敏いとう」 愛娘が語る「愛と涙、笑いの在宅介護」日記

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「要介護5」といえば、一般的には「在宅介護はムリ」と考えられているが、「自宅で過ごしたい」という父親の願いを叶えるため、一念発起。「敏いとうとハッピー&ブルー」リーダー・敏いとう氏(84)の娘が手探りで挑む「自分の人生を犠牲にしない」新しい介護のあり方とは――。

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「一昨年の12月中旬、父(敏いとう氏)が脳梗塞と診断され、その年の大晦日から入院することになりました。リハビリも兼ねて入院生活は昨年5月にまで及びましたが、さいわい大きな後遺症はなかった一方で、要介護認定がそれまでの3から5へと一気に跳ね上がりました。退院が近づくと、担当のお医者さんから『ご家族だけで(面倒を)見るのは難しい』と言われ、私も“やっぱり施設に入れたほうがいいのかな”と考えましたが、父に相談すると『いやだ。(自宅に)帰る』とハッキリ言った。それを聞いて“よし、やれることはやってみよう”と腹を括りました」

 こう語るのは、敏氏の愛娘である伊藤実奈さん(35)だ。実奈さんは敏氏が48歳の時に生まれた子供で、母は2022年8月に65歳で亡くなった、敏氏にとって3人目となる「最愛にして最後の妻」。実奈さん誕生の4年後には、妹も生まれている。

「父が入院した直後の昨年1月、私は長年交際していた今の夫と結婚しました。母の件だけでなく、父が病院に運ばれたことで“死”というものを意識せざるを得ず、父に花嫁姿を早く見せてあげたかったのです。結婚後に妊娠が発覚したのですが、実は昨年3月に流産してしまい……。そのため父の入院期間中は、私自身も“一杯いっぱい”の状態だったのですが、リハビリが順調に進み、いざ父が退院となった時はやっぱり嬉しくって。だから父が施設でなく“自宅で過ごしたい”と言った時、なんとかその気持ちに応えてあげたいと思ったのです」(実奈さん)

 とはいえ、介護の知識も経験もほとんどなかった実奈さんは、必死に猛勉強。まずは「家の環境を整える」必要性に気づかされたという。

バリアフリーもDIY

「父が移動する際は車椅子が必須となったので、まずは自宅の門扉から玄関までのデコボコの部分をなくさなければいけないと考えました。そうしないと外出もままならなくなるのは目に見えていましたから。けれど業者に頼むとお金がかかるので、ホームセンターでセメントや砂利を買ってきて、夫と2人で玄関までの道のりを平らにしました。おかげで、かかった費用は数千円程度。次に玄関の“たたき”と上がり框(かまち)の段差をなくすためスロープを取り付けたのですが、こちらもレンタルを利用し、料金は月900円程度です。父の自宅は平屋建てのため、大規模なバリアフリー化が必要なかったのは幸運でした」(実奈さん)

 在宅介護を決意した背景には、以前から自宅に通っていたヘルパーらと敏氏の関係が良好だった点も大きいという。そのため実奈さんも分からないことはヘルパーに相談したり、自分で役所に問い合わせたり、ネットで調べるなどして「自分でできる介護のやり方」を模索したという。

「父が昨年5月に退院して以降、いまも手探りの状態は続きますが、何事も自分一人で抱え込まないように注意しています。というのも“父を施設には入れない”と決めたものの、私自身、仕事を抱え、普段の生活があるので、それら全てを投げ打って父の介護に専念することはできません。それをすると“介護地獄”に陥ってしまうと考えたのです。だから最初から“自分を壊すことなく、私の人生と介護を両立させる”ことを前提に行動を始めました」(実奈さん)

 その第一歩として「父を何もできない“病人”としては扱わない」とのルールを決め、「ご飯を食べる」「ベッドから起き上がる」など、敏氏が一人でできることは「自分でやってね」とハッキリお願いするようにしたという。

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