「出演料がサラリーマンの年収の倍以上だったことも」 つかこうへいの盟友が明かす驚きのエピソード
韓国に一人で移り住んだ母への思い
昭和56年、つかは小説『蒲田行進曲』で直木賞を受賞。直後に行われた作家の有吉佐和子(故人)との対談では、自身が韓国籍であることを明かした。昭和60年には韓国ソウルで「熱海殺人事件」を上演したが、そこには韓国に一人で移り住むことになった母への思いがあったという。
「“おふくろが肩身の狭い思いをしないよう、息子がいかに日本で名の売れた作家・演出家であるかを売っておきたいんだ”と聞きました。僕は稽古から公演にかけてのとある期間、ソウルでつかさんと一緒でしたが、帰りの土産はつかさんの母親が手作りしたキムチ。生涯一のおいしさでした」
誰よりも会いたい娘を追い返した理由
愛娘は宝塚歌劇団で娘役トップスターを務めた女優の愛原実花(38)で、本書には彼女と長谷川の対談も収録されている。
「娘さんが宝塚で退団公演の稽古中、がんで入院していたつかさんの容態が急変した。慌てて帰京しようと新幹線に飛び乗ったら、病床のつかさんから電話が入り“すぐ戻りなさい。周囲の皆さんにご迷惑をかけるものじゃないよ”と。で、彼女は名古屋から引き返したそうです」
このエピソードは長谷川も知らなかったという。
「誰よりも会いたいはずの一人娘を追い返してしまうなんて、いかにもつかさんらしい。2冊目を出して良かったのは、この対談を読んでもらえることかも」
その1カ月後の平成22年7月、つかは62歳の若さでこの世を去った。墓はなく、遺書に残された“娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおう”との意向がかなえられた。