「出演料がサラリーマンの年収の倍以上だったことも」 つかこうへいの盟友が明かす驚きのエピソード

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 平成22年に死去した劇作家・つかこうへいと親交のあった俳優らによる“OB会”が開催された。1月下旬に行われた「劇団つかこうへい事務所一夜限りの大同窓会」で、会場は東京・新宿の紀伊國屋ホール。昭和50年代に「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」などで観客を沸かせた、風間杜夫(74)、平田満(70)、根岸季衣(70)らが顔をそろえた。

 進行役を担った、脚本家の長谷川康夫(70)が言う。

「つかさんは稽古場でも酒の席でも、僕らの家族構成や生い立ちを聞き出すのが大好きでね。それが芝居作りにつながるんですけど。だから劇団員たちは、ほかのメンバーのことを詳しく知っていて、仲間というよりどこか親戚のような感覚。解散から40年たったいまでも、何かあると集まる。ほかの劇団の連中からは驚かれますね。これもつかさんのおかげでしょうか」

「出演料は当時のサラリーマンの年収の倍以上」

 このイベントは、同じ1月に長谷川が上梓した『つかこうへい正伝II 1982-1987 知られざる日々』(大和書房)の出版を記念して行われた。本書は令和2年に出版された『つかこうへい正伝―1968-1982―』(新潮社刊)の続編で、主に昭和57年に劇団が解散する前後から、つかが演劇活動を再開させる直前の昭和62年までが描かれている。

 長谷川は「蒲田行進曲」が演目の解散公演における出演料の額に驚いたという。

「つかさんは“役者が食えるように芝居をやっている”というのが口癖。これはいまの演劇関係者でも驚くと思いますが、僕は25歳からアルバイトというものをしたことがない。劇団からもらうお金だけで生活ができたからです。70日の公演期間中に約90のステージをこなした解散公演時の『蒲田行進曲』では、僕の役柄は決してメインとはいえない監督役なのに、出演料は当時のサラリーマンの年収の倍以上もありました。最後だということもあったんでしょうが、そういうことを素知らぬ顔でしてみせる人でしたね」

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