横尾忠則が「もうこの世に生まれ変わりたくない」と思う理由 前提にある輪廻転生の思想

  • ブックマーク

 人は何んのために生きるのか、という質問を受けることがありますね。人それぞれ違った答えと理由があると思いますが、僕は簡単に言うと、もう二度とこんな寸善尺魔なこの世には生まれ変りたくないと答えます。寸善尺魔というのは世の中には良いことが少く、都合の悪いことが多い、という意味です。でも、だから人生は面白いという人もいらっしゃるかも知れませんが、悪いこともあるけれど良いこともある。その反対もありますね。

 だとすれば、人間はどうして生まれてこなきゃいけないのか、という疑問も生まれます。だったら、生まれなきゃいいではないか、頼まれもしないのに何んで生まれてきたんだ、ということになります。でも、本当にそうなのでしょうか。もしかしたら、自分が生まれたいと思ったから生まれてきたんですよ、ということだったらどうしますか。そんな馬鹿なことはない。生まれる前の精子か卵子がそんな意識など持っているはずがない。だからウソだ。生まれてきたのは単に偶然だ。そして生老病死を経験するだけだ。それで一巻の終り、あとは無になるだけ。じゃあ生まれる前は何んだったんですか、生まれる前は有だったんですか、それとも無だったんですか。こんな答えのない議論を繰り返していると疲れます。もうどっちだっていいじゃないですか、ということでこの問題は終り。

 そこで僕はもう一度冒頭に帰ります。僕の結論はすでに言ったように、今回の生を最後にしてこの世には生まれ変りたくないなあ、というものです。だけど死んだら人間は無になると考える人にとっては、僕の考え方はおかしいということになります。いや、そうではないのです、と僕が反論する根拠は、「輪廻転生」です。これを肯定する人でなければ僕の考え方は通用しません。もう、この世には生まれたくないと考える前提には輪廻転生の思想があります。僕はこの思想を信じているから、もう二度とこの世に生まれたくないと言っているのです。

 ここから先きは輪廻転生という概念がもしかしたらあるかも知れないと考えていらっしゃる方にのみ読んでいただきたいのです。この思想はある意味で仏教の根本原理なんですが、お釈迦様はこんなことは言っていないという意見もあるようです。しかし、ここでは無視しましょう。「ある」を前提にして僕は言っているんです。

 先きほどから書いている通り、僕はできれば今、生きている生を最後にして、もう二度とこの世に生まれ変りたくないのです。人間は数限りなく転生を繰り返していると輪廻転生の思想は言っています。未完の魂で生まれて、その魂を100年たらずの時間の中で完成できれば、もう生まれ変りませんが、一度や二度の転生では無理です。だから男が女になったり、その反対になって、色んな国や色んな時代に生まれ、性格も同じだったり、今と真逆の性格になって、いい人になるだけではなく悪人になったり、幸福と不幸を魂がヘトヘトになるまで、イヤというほど繰り返します。人類の太古の時代から、こうして魂は生と死を繰り返してきたのです。

 そして、そのことに気づいた魂は、もうそろそろ不退転にしようよ、ということになってできればこの今生を最後に生死の繰り返しを打ち止めにしようと考えます。人間の意識と魂が相談してそれを定めるのではないかと思います。

 そうしていよいよ今生で打ち止めにするなら、それ相応の努力をして、いつこの世を去っても後悔しない、やり残こすことはない、エゴも解消しました、思い残こすことは何ひとつありません。家族に対する執着ともきれいさっぱり心の中で縁を切りました。そしていつ死んでもいいです。たった今死んでも未練は全くありません。あとはお迎えが来るのが楽しみです、という状態に自分を持って行ければいいです。そうすると、輪廻転生のサイクルから見事に離脱できます。不安よりむしろこれから行く未知の世界への期待でいっぱいになります。死んだら、どこへ行くのか、死の世界はあるのかないのか、天国はあるのか地獄はあるのか、そんなことにさえも無頓着な魂なら無事に不退の土(ど)という涅槃に往けるんじゃないでしょうか。

 でもそんな理由(わけ)のわからない所に行くくらいなら、やっぱり転生してもいいから、こっちで色んな場所へ行って、そこで出合った人と恋愛して、美味しいものを沢山食べて、大金持ちになって、皆がうらやむような名誉地位を獲得して、とことん快楽生活を味わいたい。こちらの世界は物質世界で何んでもある、向こうの世界は精神世界で、人間の欲望通りにはどうも生きにくい、だから、不退転だか、涅槃だか、何んだかわからない世界に行くのはもっともっと先きのばしにしたい。と思う方々にとってはこちらの世界が天国ということになるんでしょうかね。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年2月22日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。