大女優・原節子はなぜ隠遁生活を送ったのか…42歳で表舞台から去り、唯一あった結婚話の相手とは切ない共通点が
古今東西に「大女優」は多くいるが、40代前半で自ら表舞台を去った人物は珍しい。現在も世界的評価を受ける巨匠、小津安二郎監督の作品で知られる原節子がその人だ。2015年に95歳で死去するまで50年以上もの隠遁生活。静かな後半生を選んだ理由には諸説あり、小津監督との関係に注目したものもある。撮影現場での2人を幾度となく見た人物の証言とともにこの説を解き明かす。
(「新潮45」2006年1月号特集「総力特集 昭和&平成 芸能界13の『黒い報告書』」掲載記事をもとに再構成しました。文中の年齢、年代表記等は執筆当時のものです。文中敬称略)
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【レア写真】キリリとしたまなざし、上品な佇まい…唯一無二の存在だった原節子
鎌倉での隠遁生活
大正9年生まれというから、現在85歳。鎌倉・浄妙寺の一角でひっそり暮らす原節子は、ここ数年、地元でもまったく姿を現していない。以前はしばしば散歩したり、郵便局やバス停で並んでいるところを目撃されたものだが、それもぱたりとなくなってしまった、という。
近所を回れば、一説に3年前、女性週刊誌が自宅での姿を隠し撮りしたのがきっかけで外出をやめた、という話があり、もう他所に移られましたよと密かに耳打ちする人もいた。
念のため、同居する甥に確認すると、
「外に出ることはほとんどなくなったが、ここで元気に暮らしている」
とだけ答えが返ってきた。
庭を数匹の猫がのんびりと歩き、栗鼠(りす)が木々を駆け回るのどかな環境の中で、いまも原節子は自身の意思を貫き通し、静かな晩年を送っているようである。
なぜ隠遁生活なのか
彼女が銀幕から姿を消したのは、昭和37年のことだった。「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(稲垣浩監督)で大石内蔵助の妻りくを演じたのを最後に、以後、映画に出ないばかりか、芸能界やジャーナリズム、ファンとの一切の交渉を絶った。
言うまでもなく、原は日本を代表する大女優である。美しく大きな瞳、アルカイック・スマイルを湛えた口元、甘美な声、大柄でもすらりとしなやかな肢体――そうした西洋的な容姿に、日本的な貞淑さや清潔で濁り気のない気品が備わっている。それが原節子だった。
当時、彼女は42歳。もう若くはなかったが、決して容色が衰えたというわけではなかったし、気品ある美しい中年女として比類ない存在だった。仕事はいくらでもあったはずである。
その彼女が不意に映画をやめた。そしその引退理由は詳らかにされない――だからその後、幾多の憶測を呼び、さまざまな説が飛び交ってきたのだった。
よく知られているのは、老いの自覚のため、というものである。40歳を過ぎたら、衰えた容姿をさらさないため引退する、との意向が本人にあったらしい。
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