山形で高校教師になるはずだった、現役時代の無口は“作戦”か…元祖・技のデパート「舞の海」の相撲人生

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三所攻め、八艘飛び、クルクル舞の海…

 改名後も快進撃は続き、十両を3場所で通過した舞の海は、平成3年秋場所で新入幕。寺尾を切り返しで破る大活躍を見せ、技能賞を獲得。翌九州場所では、身長で30センチ、体重でも110キロ以上上回る曙に、右渡し込み、左で内掛けにいく「三所攻め」を敢行。

「三所攻めは、巡業などの時に何度も稽古していたんです。その時は相手に吹っ飛ばされていましたが、本番ではうまくいきました」

 めったにお目にかかれない「三所攻め」を舞の海はこう解説する。同じ場所、若花田(のちの若乃花)を倒し、2場所連続の技能賞に輝いた。

 この活躍で、ファンはシリコンカ士・舞の海の相撲から目が離せなくなってきた。

 翌年初場所の北勝鬨戦では、またもや離れ業をやってのけた。立ち合い、いきなり1メートル近くもジャンプした舞の海は、北勝鬨の後ろに着地し、驚いて振り向いた北勝鬨を翻弄。いわゆる「八艘飛び」を見せた瞬間だった。

 さらには、相手の右上手を取って出し投げを繰り返す、「クルクル舞の海」を編み出し、平成8年初場所の肥後ノ海戦では、見事4回転を成功させる。「猫だまし」の珍手も、時折見せた。

舞の海の無口は「作戦」だったと寺尾

 250キロの小錦との相撲は、毎回大熱戦となった。平成8年名古屋場所でも、小錦を下手ひねりで土俵に沈めた。まさに、元祖「技のデパート」全開だった。また、舞の海の活躍に刺激された日大相撲部の3年先輩の智乃花(現玉垣親方)が、現職の高校教師から27歳で角界入り。大相撲の土俵がにわかに活気づいてきた。

 土俵上での華麗な活躍とは裏腹に、土俵を降りた舞の海はもの静かな青年だった。現役時代、幾度も彼を取材した私も、「ハァ……」「そうですね」と繰り返す舞の海に苦しめられた1人である。しかし、彼と仲が良かった寺尾は、

「秀平(本名)の場合、それが手だったんだよ」

 と、無口は「作戦」だったことを暴露。飲み屋の席でも無言を通し、中洲の美人ママを見事に射止めて、私生活でも絶頂期を迎えていた。

 しかし、先の小錦戦で、土俵際で回り込んだ際、舞の海の左ヒザの上に小錦の巨体が重なり、左ヒザを負傷。初めての休場に追い込まれてしまう。これがきっかけとなり、幕内と十両を往復する土俵が続くこととなった。

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