山形で高校教師になるはずだった、現役時代の無口は“作戦”か…元祖・技のデパート「舞の海」の相撲人生
後輩の死で運命が一転
ところが、年が明けた1月4日、長尾の運命を一転させる出来事が起こる。日大相撲部の2年後輩、同郷でもある成田晴樹選手が、突然亡くなったのだ。体重が200キロ近い巨漢の成田選手は、「将来は力士に」と嘱望されていた有望選手。成田選手と一緒に若貴兄弟のいる藤島部屋(当時)に出稽古しに行くなど、かわいがっていた後輩だった。その後輩の突然の死。
「あれほど有望な成田が死んでしまった。いったい自分の人生はこれでいいんだろうか? 死んだ気になって、大相撲の世界に飛び込んでみよう」
長尾は教職から一転、相撲界入りを決意したのだった。
三月場所を前にしておこなわれた新弟子検査会場に、長尾の姿があった。
新弟子検査の体格基準は、身長173センチ以上、体重75キロ以上 (当時)。長尾の身長はこの時、170センチと計測された。実際にはもう少し低いこともあって、期待していた「お目こぼし」は、いっさいなかった。
執念の「シリコン埋め込み」で合格
力士になりたくても、不合格という現実。目の前が真っ暗になりかけたが、長尾は次の手を考えていた。
それは、頭のてっぺんにシリコンを埋め込んで、一時的に身長を伸ばすというものである。形成外科医院での手術前日、「当分の間、酒が飲めなくなるだろう」と痛飲したのが、よくなかった。当日は麻酔がほとんど効かず、手術は痛いのを通り越すほどの感覚だったという。
そして、翌夏場所前、注入したシリコンで不自然に頭を尖がらせ、さらに伸ばした髪をトサカのように固めた奇妙な髪型の長尾は、見事174センチで合格を果たした。
現在では、新弟子検査の身長と体重の基準が変わり、基準を満たさないの新弟子希望者でも、第二検査という体力測定テストにパスすれば角界への門が開かれるようになった 。ともあれ、長尾の執念が実ったのである。
平成2年夏場所、幕下付け出しでデビューした長尾は、5場所で十両に昇進。これを機に、故郷の鰺ヶ沢町大字舞戸町の「舞」を取って、「舞の海」と改名する。小柄で動き回る相撲にピッタリのネーミングだ。
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