山形で高校教師になるはずだった、現役時代の無口は“作戦”か…元祖・技のデパート「舞の海」の相撲人生

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 元力士・舞の海といえば「新弟子検査で頭にシリコンを入れていた」というエピソードを思い出す人も多いだろう。今年の正月番組でも当時を振り返る発言で大いに場を沸かせていた。現在は大相撲解説者やキャスターなどトーク主体の仕事で活躍しているが、現役時代は意外にも物静かで無口。ただし、親しかった寺尾(元関脇、のちの錣山親方、故人)は舞の海の引退に際し「そのうちしゃべれるようになる」と“予言“していたという。小柄な相撲巧者の相撲人生を振り返る。※双葉社「小説推理」2010年5月号掲載 武田葉月「思ひ出 名力士劇場」から一部を再編集

変わり身の連続だった相撲人生

「スポーツは舞の海さんです!」

 報道番組のスポーツコーナーで見せるさわやかなキャスターぶりが、茶の間に好評な舞の海。

 また、NHK大相撲中継では専属解説者として、時に重鎮・北の富士勝昭氏を相手に掛け合いをするなど、多彩な技を駆使した現役時代さながらの器用さを見せている。

 現役を引退して24年。現役時代、無口で通した男の180度の変わり身だ。振り返れば舞の海の相撲人生は、変わり身の連続だったと言えるかもしれない。

 相撲王国・青森に生まれた舞の海こと長尾少年は、子供の頃から小柄だった。しかし、小学校では校内の相撲大会で軒並み優勝。鰺ヶ沢(あじがさわ)一中では相撲部に入部し、全国大会ベスト8という成績を残している。相撲の名門・木造高校時代は、インターハイの個人戦に出場するなど、周囲に一目置かれる存在になっていた。

卒業後は高校教師になるはずが

 猛者揃いの日大相撲部に入った長尾は、身長165センチ、体重65キロ。極度の小ささは、別の意味で目立っていた。しかし、彼の抜群の相撲センスを、田中英寿監督は見抜いていた。

「長尾、90キロになったらおまえを試合で使ってやる」

 この命を受けて、長尾は増量作戦に取り組んだ。しかし、もともと食が細いため、他の選手たちのようにスルスルとごはんがノドを通らない。

「水を飲んでも太るタイプの選手を見ていて恨めしく思いましたね」

 と、舞の海は当時を振り返る。それでもなんとか作戦を続行。合格ラインの90キロには及ばなかったが、体重が80キロ近くになった2年生の夏から、強豪日大の団体戦メンバーとして活躍するようになった。

 多くのタイトルに輝いた2年先輩の久嶋啓太選手(のちの久島海、田子ノ浦親方 、故人)は、プロの世界に進んだが、小兵の長尾にそんな気持ちはなかった。4年生の夏には教員採用試験に合格し、卒業後は山形県の高校教師に採用されることが決まっていた。

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