64年東京五輪・コンパニオン秘話 皇太子夫妻にサインをねだる姿にIOC委員長は困惑…「当時の日本人は未来に惚れていた」

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IOC会長お気に入りの言葉は「おかげさま」

「あなたたち、どきなさい。どいて!」

 と、原田さんはみなを蹴散らし、皇太子夫妻と話せず困った表情のIOC委員を殿下に近づけた。そして怒り心頭に発して「あなた達の面倒をみることはできません。明日から来ないわよ」と言って、足早にホテルをあとにしようとした。だがJOCの竹田会長に「気持ちはわかる。我慢してくれ」と言われ、踏みとどまったのだという。

 10月24日、東京オリンピックは全日程を終えた。日本の獲得メダル数は金16、銀5、銅8と、アメリカ、ソ連につぐ3位だった。ブランデージ会長は閉会式で、「みなさん、おかげさまで東京大会は大成功に終わりました」という内容の挨拶を日本語で行った。この挨拶、実は原田さんが考え、ローマ字にして会長に練習させたものだった。

「会長は『おかげさま』という言葉がとても気に入られて、ことあるごとにお使いになっていましたね」(原田さん)

 34人のコンパニオンは、1人の脱落者も出さず、仕事を成し遂げた。原田さんの体重は5キロも減っていた。

だから日本人は誠実だった

 オリンピックが終わってからも、コンパニオンたちは年に一度集まっている。ほとんどが代議士、外交官、社長、医師など、セレブにふさわしい相手と結婚、家庭に入った。

 加川さんも外交官と結婚。ベルギー、スペイン、マダガスカルなどで大使を歴任した夫に付いて世界を回ったが、行く先々で日本人が変質していく様を見聞きすることになる。

「東京オリンピックの頃は、日本人は未来に惚れていたんです。どんな経験もすべて将来のためになると。私もそうでした。だから日本人は誠実だったし、努力してモノをつくることに熱心だった。外国人もそれを評価していた。でも1980年代以降の日本人は嫌われていましたね。金で何でもできるみたいな傲慢な行動が目立ちましたから」

 日本人の変質のきっかけは、東京オリンピックだったかもしれない。

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。京都外国語大学卒業。著書に『「上海東亜同文書院」風雲録』(角川書店、2001年)、『五輪の十字架』(NHK出版、1996年)がある。月刊誌「NHKきょうの健康」で連載を担当(1997~2002年)するなど、さまざまな病気を取材・執筆している。

デイリー新潮編集部

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