性問題を考えるヒントになる…「不適切にもほどがある!」が示した「IC」「ホモソ」「みんな誰かの娘」というキーワード

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「みんな誰かの娘」というキーワード

「みんな誰かの娘」というワードにも注目したい。

 第3話(2月9日)では、昭和時代の深夜番組に出演したアダルト女優や娘の純子(河合優実)らが身体を張っている姿に市郎が感動する場面があった。そしてセクハラについて自問自答して、ハタと気がつくのである。

「そうだ、純子だけが娘じゃない。みんな誰かの娘なんだ。アダルト女優もバニーガールも…(中略)みんな一緒、同じ土俵で闘っている。みんな誰かの娘なんだ」

 セクハラに少しでも該当しそうなものを避ける、コンプライアンス至上主義が蔓延しているという現場の悩みがドラマ内で披露される。そこで、セクハラをめぐるガイドラインとは何かを探る。ふだんはアダルトビデオ好きのエッチなオヤジの市郎が出した結論はこうだ。

「みんな自分の娘だと思えばいいんじゃないかな…」そうつぶやき、とつぜん歌い出す。

「アダルト女優もアイドルも一般女性もお婆ちゃんもみんな娘だと思えばいい~」

 仲里依紗ら女性陣の合いの手が入る。

「Everybody Somebody’s Daughter(みんな誰かの娘…)」

 市郎は熱唱する。

「娘に言わないことは言わない~」

「Everybody Somebody’s Daughter(みんな誰かの娘…)」

「娘にしないことはしない~」

「Everybody Somebody’s Daughter(みんな誰かの娘…)」

「娘が悲しむことはしない~。娘が喜ぶことをする~。それが俺たちのガイドライン~」

 このドラマは、38年間の時空を超えて“昭和”と“令和”のそれぞれの時代を検証しながら、どちらか一方が優れているというのではなく、どっちの時代も見るべきものがあり、自分たちがいるこの時代について立ち止まって考え直してみよう、という姿勢が貫かれている。

 昭和でも令和でも共通すること。時空を超えて大事にすべきこと。“性”をめぐるハラスメントについて言えば、それは市郎が歌ったように「みんなを自分の娘だと思うこと」というシンプルなことなのかもしれない。

 現実に裁判沙汰になっている“性”をめぐる問題についても、そう考えてみればわかりやすい。このドラマはそうしたことまで視野に入れているように思う。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部

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